才女の文体
文楽三味線について見聞を広げようと、有吉佐和子の『一の糸』を読んだ。昭和40年に出版されている。
題名はもちろん太棹の一番太い糸から由来する。太棹三味線奏者の露沢徳兵衛の妻茜が話者であるが、本当の主人公は露沢徳兵衛である。若い頃二人は出会い一夜の出来事があったものの徳兵衛には妻があり、茜は添うことをあきらめなければならず、茜37歳まで一人の境遇となる。
20年後偶然再会することになる。すると、徳兵衛は妻をなくし9人の子供をかかえて往生していた。後添えとして来てほしいと申し込まれ、茜はその大所帯に嫁ぐことになる。それから子育てと芸の世界に身を投じて、夫徳兵衛の内助を尽くすという話だ。
読み始めて、有吉のべたつくような文体が不快だった。最近読み継いでいる芝木好子の理知的で簡潔な文体に比べて、昔語りのような膠着する表現が鬱陶しく感じられたのだ。妙に世故にたけた人生観が底に流れていて、訳知り顔の嫌味な女だなあと作者の有吉を敬遠したくなった。ルーツが紀州という関西の血がそうするのであろうかと訝った。
谷崎の『細雪』などは関西文化を関東人の目で書いているから何処かからりとしているのだが、有吉の描く上方芸能の世界はじとりとしていて読んでいて気が重くなる。
ところが3分の一を過ぎたあたりから俄然その嫌味が気持ちよくなってくるのだ。この張りつくような上方文化が読み手の毛穴に入り込んでむずがゆいような快感を残してゆくのだ。途中で食事で中断しようと思うが、読書欲は糸を引いて、その『一の糸』から私を離させない。
これまで読んだ事がない表現がいくつも出てくる。茜が徳兵衛のパトロンに心にもない追従を言う場面に――
《と思っているより上越した褒言葉で夫の仏頂面をとりつくろおうとした。》
上越した、などという言葉遣い。これまで目にしたことがない。そればかりか特殊な用語にも有吉は長けている。
《温泉の湯がたえまなく湯舟から溢れてタイル張りの陸(おか)を流していたからである。》
風呂場の床を陸(おか)と呼ぶのは初めて私は知った。
庭で茜が末娘律子とぶらんこに乗ってはしゃいでいる場面がある。家の中では徳兵衛は弟子の春大夫に稽古をつけている。
《茜が結婚当時の思い出の中から律子に関することをあれこれ披露してみせると、律子はぶらんこから落ちかかるほどのけぞって笑い転げた。》この後の表現が凄い。
《いつか春大夫の稽古は終わっていたらしい。遠い縁先から徳兵衛が二人の姿を見守っていたのに、二人ともなかなか気がつかなかった。》
「いつか・・・」で“カメラ”の位置が、茜と律子の2ショットから縁から徳兵衛が二人を見ているロングショットに切り替わるのである。この「いつか・・・」の文章が挟まれなければそうはならないのだ。
有吉佐和子という人は、昔風の文体を用いながら、きわめて明晰な近代の意思を働かせている。
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