暮色
芝木好子の世界は言葉の密度が高い。編み目がぎっちりつまっている。そこで交わされる言葉のひとつひとつの重量感は「端倪スベカラザルモノ」がある。
会話の中にこんな言葉がさらっと埋め込まれるのである。
「内緒の行為や、秘密の感情、そういう毒があるから人間は精神的になれる。」
前にも芝木のことを書いたときに触れたが、ある部分を抜き出して彼女の凄みを語るのは至難に近い。小説というのはむろん文脈のなかで浮き出る意味をこしらえるものであって、断片では未読の読者にはなんのこっちゃという点があるにちがいない。それでも、断片破片であっても書き出しておきたい衝動に芝木を読むと駆られる。
例えばこんな言葉はありふれている表現であるのだが、
「今はひとりで何処を歩いてみても、何を見ても、透き通った感じ―」
ある大きな体験をした後の、主人公の目に映るものがすっかり変わったということを平易な言葉で指示するのだ。ここまで読み継いできた者には大きな得心のゆく言葉として響いてくる。
物語の終幕あたりで登場する短いエピソードが気に入った。おそらく芝木はこの話を実際に昔語りで聞かされたことがあるのだろう。その部分のトーンが小説全体からやや浮き上がっている。
主人公冴子の婚家の祖母加津が、昔語りを始める。84歳の加津は生涯自分で爪を切ったことがないような大店の箱入り娘であった。口は悪いが本当のことをいつも語るという、美点と欠点が張りついているような女だ。その祖母が別れてゆく冴子にはなむけとして「昔は佳い女には献身する男がいたもんだ」と言う言葉をかけることから、自分の体験を語るのであった。
加津の娘時分の話だ。
加津の家に出入りする若い足袋職人がいた。彼女の足は人より小さい八文七分の、細形の、甲なしの足で、形になりにくいから、出来合いで間に合ったことがない。そこで誂えの足袋を作ることになる。下谷の老舗から若い職人が足の型をとりに来る。職人は寸法を計ったあと、加津の足の底へ手をまわして握り締めた。足の弾力で厚みでも計るのかもしれないが、彼女にはまるで乳房でも掴まれたような衝撃を受けた。職人は年に一度ずつ寸法を測りなおしにきた。女は黙って素足を差し出した。出来あがった足袋は心憎いほどぴたっとしていた。
数年後、その職人はふいっと郷里の四国へ帰った。その後の消息は絶えたが、加津は老女となった今もそのことを忘れていない。
「老女は、うっとりと昔を見ていた。」と芝木は書く。
封建道徳がはびこり因習が人を縛っていた時代の話だ。だが、このエピソードの鮮やかさ。なんとも心にくい。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング