バルタン星人の謎
シルビー・バルタンが出演する番組を作ったことがある。
バルタンは1963年に発売された「アイドルを探せ」で一躍スターダムにのし上がり、文字通りアイドルになった。金髪のいかにもパリのマドモアゼルといった気分で、当時のティーンエジャーのハートを掴んだ。バルタン19歳。私15歳、中学3年生。このときアイドルという言葉を私は覚えた。
翌年、レナウンのCM「レナウン娘」が流れた。私の故郷の民放ではあまり流れなかったが、主題歌が全国ヒットしたので歌だけ耳に入ってきた。バルタンがたどたどしい日本語で歌うのが可愛かった。
♪ドライブウェイに春がくりゃ・・・・・ヤェェェヤェィヤェィヤェィ
ずっと、バルタンは生粋のパリっ子だと思っていた。実は、彼女は昭和19年の8月15日にブルガリアの小さな町イスクレッツに生まれていた。父はフランス人、母はハンガリー人である。翌月にはソビエトがブルガリアに侵入し、一家は首都ソフィアに移住した。その後、昭和27年に父方の祖父の計らいでシルビー一家はパリに移るのであった。
フランス語を話せないシルビーは2年間、語学などを学び、11歳 でハイスクールに通う。そこで、兄Eddieに勧められて、フランキー・ジョルダンとシャンソンを歌いレコード・デビューを飾る。歌手として成功し60年にはあのオランピア劇場の舞台に立ち人気スターになってゆく。「アイドルを探せ」は1963年に上映された映画の主題曲である。
日本語の歌詞は安井かずみさんが付けていた。フレンチポップの名曲と今はいわれる。
♪恋の喜びに輝いている・・・・・
私の作ったのは「フレンチポップス大集合」と言う番組で、60年代に日本でヒットしたフランス人アーティストのその後を追っかけたバラエティである。当時使用されたジュークボックスの前で、彼女にインタビューした。50歳を越えていたが、相変わらず美しくチャーミングだった。そのとき、初めて彼女が東欧出身であることを知った。
そのインタビューの終わりに「あなたは、バルタン星人を知っているか」と問うと、面白そうに「知ってる」と答えた。彼女は日本びいきで、日本の流行や動向に詳しかった。
ところで、バルタン星人とシルビー・バルタンは関係があるのだろうか。
無関係のようだという説もあれば、 飯島敏宏さんの著『ウルトラマン科特隊奮戦記』のようにバルカン半島に由来してつけたという説もあって、諸説ふんぷんのようだ。
大伴昌司の部屋に行ったときのことだ。彼がバルタン星人の解剖図を描いた机のそばに、シルビー・バルタンの大きなポスターが張ってあった。大伴は当時弘田三枝子とバルタンがお気に入りだったのだ。
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