野の花の一生
藤沢周平の「山桜」を再読し、期待していたとおりの感動を得ることができた。しみじみと心に残る温かいものを感じたのである。
物語の主人公は二度嫁に行った女。最初の夫とは死別したが、二度目はそれを負い目に感じていたため婚家を選び間違えたと、今になって主人公は悔やみはじめていることから始まる。婚家は一家あげてけちで彼女のことを望むより彼女の家柄を欲していたのだった。
不幸なめぐり合わせを主人公が思うとき脳裡に浮かぶのは行かず後家で死んだ叔母のことである。その叔母は一生を生家で送ることになったが、短くて悲しい一生であったなと、主人公は自分の人生を重ねながら思うのである。
人知れず咲く山桜。誰に見せるわけでもなく、見られることもなく、花を咲かせ散らしてゆく山桜――。
知人から聞いた話だ。大手の会社に就職した女性が30年勤めていたが、昨秋難病にかかり54歳で亡くなった。都立高校を優秀な成績で卒業したこともあって、その会社でも重要な社長室に配属され三十有余年賢明な秘書として仕事をまっとうしてきた。結婚はせず両親と暮らしてきた。父は10年ほど前になくなり、老いた母と二人で生きていた。その母が2年前に死に、ほどなく彼女も業病にかかる。それは筋肉が衰えてゆく病で、生命維持装置をつけなければ1年足らずで死をむかえると医師から宣告された。
その女性は都会育ちとは思えないほど地味な人だった。容姿は端麗から程遠く、かといって化粧や衣装で飾ることもなく、異性はもちろん同性の友達もいそうもなかった。おとなしいというより暗い印象を他にあたえた。大手企業の重役秘書という華やかな肩書とはうらはらの、生真面目でひっそりと隠れるように生きていた。
その人は身寄りがなく、死を宣告されたとき後事を職場の同僚に託した。そして延命治療を拒否したため1年足らずで死んだ。
同僚が遺産を処理しようと通帳を調べると法外な額が記載されていた。着飾るわけでなく外国へ遊びに行くこともなく男がいるわけでもなく、せっせと老後に備えたのであろう。墓を立てても後まで見守る人がいるわけではないというので、散骨となった。その人が残した多額の貯金はすべて公的機関に寄付となった。この人の生き方は藤沢が描いた「山桜」でもない。もっと悲しい生き方だ、と私には思われる。藤沢の小説を読むうちに、その人のことを思い浮かべてならなかった。
樹に咲く花ではない。野に咲く名もない小さな花か。その人は大きな口を開けて笑ったことがあったのだろうか。・・・
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