たとえ翼をもがれても
物事の進行はその矛盾を乗り越える形で行われる、たとえ単細胞と言われようともそう信じてきた。それが弁証法的な生き方だと信じてきた。つまり悪は滅ぶ、正義は必ず勝つである。私は戦後民主主義を大きなよりどころにした鉄腕アトムの子であり、あしたのジョーの支援者なのだ。
だが現実はそうではないと、高説を垂れる人もいる。そして、ついには先哲から教えられるのでなく私より年少からそう指摘をされてしまう時代が来た。正しく行っているから報いられるわけではない、一生懸命だから裏切られることはないということはない、と主張する非常に醒めた若い論客も現れている。宮台真司なんて人はそう諭すのだ。(私は宮台真司という人は嫌いではない)
人生はそうはならない、人生の真実としての「アイロニー」を受け止めなくてはならないと教えてくれる。「セラヴィー」――人生は皮肉(アイロニー)、それも人生さ、ということか。若いのに人生の深処をしっかり見ているとつい感心してしまうが、夢がないなあとぼやきたくもなる。
ただ、私らは分かっていても、「スジ論」に立ちたい。仮に負け戦になろうとも、翼をもがれようとも、弁証法的な進みゆきを肯定していきたい。
現役を降り、定年した身には、これまで年下と見て軽く見てきた世代が一際大きく現われてきている。彼らは私らの世代が現役でいる間は煙たかったのだろうか。今、現役権力を持った途端変ってしまった。
現役を離れ、退役の身となると、悲哀をかこつことが多くなる。なぜ、こんな理不尽な要求に答えなくてはなるまいかと疑念に思うこともしばしばある。
としても、これまで信じてきた道を否定するつもりはない。これまで歩いて来たように、これからも歩き続けるだけだ。
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