定年再出発 |
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うたた30年
昨夜は都立駒込病院へ行った。1年前にシスカの見舞いに行っているから病院までの道のりはよく分かっている。今回はシスカの夫カズオミが入院しているのだ。アツコさんとカズコさんと3人で8階の病室を訪ねた。カズオミは外出しておらず、30分ほど待った。 その間、30年前の荻窪時代の思い出話に花が咲いた。 当時、27歳の私は天沼の独身寮にいた。天沼八幡前にあるぽろん亭という喫茶店に足繁く通った。そこのママは元デザイナーでかつては新宿風月堂ではちょっと名の知れた「魔女」だった。メイクもいかにも魔女、名をミヨと言った。 そのぽろん亭には風変わりな常連が多かった。いわゆる杉並文化人というか、ものかき、編集者、役者、学生がたむろした。モノカキの代表がクボカクだ。かつてはS書房やH社の名編集者といわれ、私が会った頃は知る人ぞ知る左派の評論家として知られていた。アツコさんはそのパートナーである。二人に子供はいない。私が出会った頃、クボカクは花田清輝全集の編集に全力を投入していた。『復興期の精神』や『小説平家』など花田の作品に私も引き込まれた。ロッキード事件で田中角栄の追求が始まった頃だ。 杉並日大通りに面した散髪屋の2階にカズオミとシスカは生まれたばかりの男の子を抱えて慎ましく暮らしていた。カズオミは黒テント68・71の看板役者。シスカはそこの劇団員だったがいっしょに暮らすようになって、役者をやめパートで働く専業主婦をやっていた。散髪屋の2階に間借りするカズオミ一家はまさに「神田川」の世界だった。 八幡さまから日大通りまでの範囲に、ぽろん亭の常連たちはすんでいた。ほぼ中央にある2階建てのアパートが常連の酒盛りの場となった。上はドピローが一人で住み、下はアンディとフユミが同棲していた。ドピローは新宿ぼろん亭のマスターで、3DK、風呂付きの部屋に一人で住んでいた。銭湯に通うのが当たり前だった頃で、一番経済的に豊かだった人だ。国文学専攻のインテリで、山中智恵子の短歌などをすらすらと暗唱してみんなを驚かすのであった。このドピローの風呂のある家に、ミヨをはじめ常連は集まって深夜まで酒盛りをした。 階下のアンディはアメリカ人のフーテンだった。エール大学を中退した秀才のはずだが、いつもぶらぶらしてフユミに食べさせてもらっていた。2階で酒盛りが始まると、アンディはバーボンを持って下から上がってくるのであった。この酒盛りはまるで永島慎二の漫画に出てくる売れない漫画家たちのそれににそっくりだった。 2年ほどして、ドピローはカズコさんと結婚した。看護師だった彼女は肝っ玉の座ったあったかい人で、天沼のうるさい連中もすぐ好きになった。ますますドピロー宅はみんなの溜まり場、酒盛りの場になっていった。 そのうち、私、アツコさん、カズコさんら5人ほどで日本史の勉強会を始めた。テキストは岩波新書「日本の歴史」(井上清)だ。数回やって自然消滅したが、まじめに輪読会などをやったものだ。こういう縁もあって、今回のカズオミの見舞いは私とアツコさん、カズコさんの3人になったのだ。 最初に死んだのはクボカクだ。7年前になるか。急死した。62歳だった。これからと嘱望されていた矢先の死であった。彼から私はテーマとして、戦前活躍した舞姫チェ・スンヒを与えられた。まだ、手をつけられないままでいる。 クボカクが死んだ後、アツコさんは一軒家に膨大な書籍と資料に埋もれて暮らしていたが、このほどその資料を処分することにしたという。 1年ほどして、ぽろん亭のミヨが癌になった。延命治療は拒否し、この荻窪という地域で最後をまっとうしたいという本人の意思もあって、最後まで常連たちと交流を続けた。その話を聞いた朝日新聞の地方版担当が、都会の隣人たちというような記事を、ミヨが死んだ後書いた。 クボカクの死ぬ数年前にドピローが脳梗塞を発症し、生死をさまようことになる。幸い一命をとりとめたが、意識や記憶が混濁したまま、植物状態となった。病む夫と二人の幼い娘をかかえてカズコさんは奮闘して生きてきた。 2年前、カズオミが癌になり肝臓をとったと聞いた。 わずか半年後に、妻のシスカが癌になりカズオミより悪いという情報が、私に届いた。慌てて、駒込病院へ駆けつけると、髪が完全に抜け落ちたシスカがベッドにすわり、傍らにげっそりと痩せたカズオミが座っていた。そのときは、シスカもカズオミも明るく笑い話をした。それから半年シスカは死んだ。53歳だった。 そして、昨日の駒込病院となる。カズオミが骨折して入院した。私たちが訪れたときカズオミは芝居の稽古に行っていたが、7時半、部屋に戻ってきた。 昨年の大晦日に仙台で左上腕を骨折した。癌細胞が腕に転移してもろくなったため、斧で切ったように骨がすぱっと折れた。応急措置をして東京にもどり、正月は昭島の自宅で過ごしたあと、この駒込病院に先週入った。 サービス精神の旺盛なカズオミは、骨折のエピソードを身振り手振りで面白く話した。 8時、面会時間が終わり、私たちは辞去した。田端駅まで出て、駅前の居酒屋で3人で夜遅くまで飲んだ。30年前の、みんな元気だった頃を懐かしく語り合った。うたた30年。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2007-01-27 13:15
| 登羊亭日乗
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