中国の知識人
最近、娘が高校時代に使った世界史の教科書をときどき読むことがある。読み直してみると、あらためて歴史の流れや本来の意味が分かったりして楽しい。今朝は中国の近代化の章を読んだ。
陳独秀という名前が出てくる。累卵の危機にある祖国を憂いて、救国のために立ち上がった知識人の一人だ。彼の主宰する雑誌に魯迅は「阿Q正伝」を書いていたりもする。ヨーロッパ列強や日本によって植民地化されてゆく祖国のために、抵抗の狼煙をあげて同胞に呼びかけたりもした。この人物の偉大であるがゆえに厳しい人生を送らざるをえなかった。その人生を思った。
もう一人巴金という現代作家がいる。先年亡くなったが、この人物については10数年前まで生きていたこともあって同時代の人と言う認識が私にはある。「文革」時代に批判されて蟄居し、毛沢東の没後少しずつ復権した人だ。彼は、その苦しみを忘れてはいけないと、「文革博物館」を作った。そこに残した巴金の有名な言葉がある。「過去を忘れない者だけが、未来の主人となることができる」
この言葉は、日中間の歴史認識をめぐってよく使われるので、過去というのは日中戦争のことかと思われがちだが、実は「文化革命」の傷痕を指していたのだ。巴金の傷の深さを思う。
この人が1980年代後半に来日したことがあった。彼は希望して広島を訪れ長崎を見てから帰国した。そのとき広島長崎の市民らが原爆の記憶をけっして忘れまいと努力していることに感銘し、帰国後文革博物館を建設するのだ。先に揚げた箴言も広島長崎体験が元になっているのだ。このエピソードを私は忘れることができない。
巴金という人物、中国の知識人について、もっともっと知らなくてはならないと自分に言い聞かせる。
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