2007年問題取っ掛かり
元旦の読売新聞もやはり団塊世代の話題を取り上げていた。今年の前半はやはりこの問題というか話題で流れが形成されていきそうな勢いだ。とにかく猪の年男60歳から始まって3,4年続く大量退職が社会のなかにある流れを作り出しそうなのだ。
昨年後半からこの話題は年金とか後継者とか経済的影響についてばかり語られて、当人たちの思いとか心が後回しにされていると、私は不満をもらしていた。だがテレビマンは昨年秋に開かれた「つま恋コンサート」でこの世代のカルチャーが商売になると見込みをつけたようだ。春にかけて続々テレビ番組が企画されている。
私の場合は教育テレビという地味な枠で、3月中旬に団塊世代論を展開する予定。題して「あしたのジョーの、あの時代」。この番組のためもあるし、個人的な興味もあるので、団塊世代の青春であった70年代論の気になったところをスクラップして、ここにメモしてゆこうと思う。
○元旦、読売新聞「フォークの名曲30選・ギターが語る団塊の心」…1966~70年までが日本のフォークの草創期。カレッジフォークが黎明期を飾り、「バラが咲いた」を嚆矢とする。私がギターで最初に弾き語ったのも「バラが咲いた」、コードが4つしかなく簡単に歌えた。他に「若者たち」「この広い野原いっぱい」「友よ」。個人的には「悲しくてやりきれない」が好きだった。
○亀和田武『この雑誌を盗め!』(二見書房)「団塊世代というとビートルズ世代だと思われている。本人たちまで錯覚しているが、63年まで私たちが夢中になって聴いたのは、この本のCDに収録されたような、甘くて切ない、ビートルズの出現で一夜にして懐メロになった、悲しいポップスだった。」彼が挙げている曲とは「電話でキッス」。他に「悲しき街角」「悲しき雨音」。まったく同感だ。
○同世代のコラムニスト吉岡忍の話(というのは、私は現認していないから又聞き)べ平連で新宿フォークゲリラをやっていて、新宿西口広場で演奏している姿が写真に残っている。その写真を吉岡はベトナム、ホーチミン市のベトナム戦争証跡博物館に飾られているのを見る。そのときの思いを番組にしたい。「新・世界わが心の旅」。
○山口文憲『団塊ひとりぼっち』(文春新書)小津映画のDVDボックスを買っているのは団塊世代ではないかと、山口は推論する。「あの畳とちゃぶ台。障子と襖。天井からさがった電灯の笠。ひんやりした廊下。そして、そのつきあたりの暗がりにひっそりとかたづけられた、下部が屑篭になった木製の踏み台。こうした小津映画の大道具小道具は、そのまま団塊の原風景でもある。」さらに、小津のローアングルこそちょうど幼い団塊の目線と重なりあうと、山口は強弁する。
○三浦展『団塊世代を総括する』 下の世代からずいぶん嫌がられていることをこの本を通じて私はしっかり知った。
「なにしろ数が多い。声がでかい、議論好きな彼らは、私たちにとって、まことにうっとおしい存在っである。」「しかし、団塊世代は、理屈っぽい議論が好きな割には、論理的ではない。議論のための議論はするが、細かく論理を積み上げて議論をしようとはしない。むしろ感情的である。」
この寸評は少なくとも私には当たっている。
○浦沢直樹「20世紀少年」コミックの名作だ。この浦沢って人は団塊よりだいぶ下の世代ではなかったかな。だがこの物語は60年代終り、そして70年の大阪万博から始まる。そのディテールにおいて舌を巻くほどのものと、いやあ違うよと否定したいことが雑居している。
(この項つづく)
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング