定年という寂しさをみつめて
このブログを書き始めてまもなく2年になる。最初の日はしっかり覚えている。
2005年2月1日からだ。前日の1月31日で私は勤めていた放送局を定年退職したので、このブログ開始の日付はしっかり心に留まっている。
現役時代ガムシャラに突っ走ってきただけに、定年による一線からのリタイアは私にはこたえるのではないかと、正直なところちらっと不安を抱いた。だからこそ何か新しいことを始めなくてはと思い、その頃から話題になりはじめていたブログに手を出したりした。ハイテクには弱く不器用な私ではあるのだが見よう見まねで少しずつ始めた。そのうち夢中になった。仕事量も激減した私にとってブログは恰好の表現ツールとなった。書くことが好きだったしこれまで書きたいと思っていた事柄を「軽く」書いてみるのにブログはぴったりだった。
懸念した不安も回避できたと思っていた。
が、定年から半年も経たない7月の深夜に恐れていた不安が現実となった。こんな情ないことを告白したくない気持ちもあるが、やはり書いておくべきという思いのほうが今は強い。
その夜、私はいいようのない喪失感に襲われ、圧迫されるような息苦しさを覚えて家を飛び出してしまった。家出といっても2時間ほど深夜の町を徘徊してきただけのプチ家出でしかないのだが、私の行動は異常だったようで家に戻ると家族が心配そうな顔で私をむかえた。床についても興奮はなかなか収まらなかった。
このような“危機”はこの2年の間に2,3回繰り返した。
私より一月遅れて退職した友人がいる。第2の人生の職場で席を並べることになったのだが、彼の言った言葉が忘れられない。彼はいつも弁当を持参していた。あるとき昼食を誘ったら、なぜ弁当を持ってくるかということを彼は語ってくれた。数年前に仕事の担当が変わって新しい職場になったとき、昼飯をいっしょに食べに行く者がいなくなったことがある。ひとりで蕎麦屋へ行って食べるのはあまりに味気ない。そんな外食をするぐらいなら自分ひとりで弁当を広げたほうがいいと思った。以来、弁当持参で孤食を楽しむことにしていると彼は淋しそうに笑った。
たかが昼食ぐらいと言うなかれ。定年というのはこういうみじめな思いを至るところで感じることになるのだ。
世の中は今、2007年問題で大量退職の影響ばかり語られているが、実はもっとも大きな問題はその当事者の心に開く大きな穴ではないかと、体験者の私は思う。この冬休みは、これまで書いた1200件のブログを読み直して、私の「穴」をしっかり見つめて、ある塊にまとめてみたいと考えている。
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