畳の家
仕事に就いて各地を転々とした。社宅に住んだが畳中心の部屋ばかりであった。
この10年、畳のある家に住んでいない。幼い頃はむろん畳のある家、日本家屋に住んでいた。木目の床があるような家に住みたいと思ったものだ。
12年前に大磯に家を建てたところ、1階に畳の部屋を作ったが湿気がつよく辛気臭い部屋になっていたので畳をはいだ。其の畳は縁のない上等の畳だったので勿体無いからと、私の書斎に三畳分だけ床の間のように5寸ほど上げてそこに畳を入れた。それ以外はすべて畳なしの部屋だ。目黒に住むようになってもここも洋室で畳がない。
畳がないと湿気が減ってここちよいが、冬は底冷えする。それと何となく部屋が寒々しい。だから床暖房にした。これが畳であればそれだけで暖かいのだが。
こどもにとっては畳がどれほど良いかということを、ある本で知った。
1933年に来日した佐藤エンネさんは、戦争中岐阜に疎開して伝統的な農家に住んだことがある。彼女の弁である。
「西洋の部屋をみてごらんなさい。家具も床も子供の敵ですよ。どこにぶつかってもあぶない。日本の畳はどうでしょう。広い畳の家具のない家はこどものあそび場ですよ。うちの孫は、そこで逆立ちをしたり、寝転んだり、日本の家はこどもと一緒に暮らすために作られています。」
エンネさんは『日本に住むと日本のくらし』という本を書いている。この本を読んであらためて畳の良さを思う。たしかに西洋の家であれば、乳児らにとっては危険な空間が多いが、畳は少々転んでも落ちても怪我などしない。なにより、そのままごろりと横になれるのがうれしい。
昔は空が高い晩秋の日曜日などは大掃除に家族全員で取り組んだ。その掃除の華は畳たたきだった。一枚ずつ畳をはぐって外に出し、畳を日干しにしたうえで2本の棒(例えばものさし)を使って畳をたたき、ほこりを取るのだ。ぱんぱんという音が小気味よく空いっぱいに広がったものだ。
そして暮れになると障子を張替えしたものだ。破れた障子のまま年を越すわけにはいかないと家族総出で作業にあたった。盥に水を張り、そこへ障子を入れて濡れた紙をばりばり引っ剥がしてゆく。紙をべりっと破るのが楽しく、12月の冷たい水も苦にならないのであった。
年末の大掃除が終わると、こたつに入ってみかんを食べながら漫画を読む。こどもの頃の至福の時間であった。
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