冷たい雨が降る、東京にサンチャゴに ①
冷たい雨が降っている。12月の大雨は30年ぶりだとか。目黒の駅前の銀杏並木もこの雨ですっかり丸裸となった。
1973年9月11日にチリでピノチェト将軍によるクーデターが起きた。選挙によって選ばれたチリ史上初めての社会主義政権であるアジェンデ政権を、ニクソンらのアメリカの支援を受けて軍部が倒したものであった。その後16年間にわたってピノチェトは軍事政権を率いて強権政治を行い「独裁者」と呼ばれた。彼の政権下では多くの左派系の人々が誘拐され行方不明となった。3000人以上が犠牲になったといわれる。クーデターが勃発したとき、ラジオはそれを暗号で表現し市民に伝えた。「サンチャゴに雨が降っている」
そのピノチェトが今月の10日死んだ。サンチャゴの軍病院で91歳で息を引き取った。
若い頃に、アジェンデ政権が倒されてゆくことを描いた劇映画「サンチャゴに雨が降る」を見て、怒りに打ち震えたことを思い出す。サッカー場に集められた左派の活動家たちが虐殺されている光景は、ドラマと知っていても心が掻き毟られる思いがした。その虐殺の張本人が訴追を免れ、「畳の上で死んだ」ということは納得いかない気がした。
だが、ピノチェトは結局アメリカの傀儡であって、ある意味で犠牲者ではないかという意見も最近ではある。「アメリカがチリをダメにした」「ピノチェトはアメリカの捨て駒であり、被害者だった」と、かつてピノチェト政権を影ながら支持したアメリカの責任を問う声も多く出ているという。
ピノチェトによる軍事独裁政治は、冷戦の間はアメリカによって支えられていたが、東西冷戦が終結するや、利用価値が無くなったとしてアメリカに見放されて、ピノチェトは1990年に大統領の座を追われる。その後も終身の上院議員・陸軍総司令官として絶大な力を保持していたが、1998年に病気療養のために渡ったイギリスで、スペインの司法当局の要請(チリ在住のスペイン人に対する弾圧の罪で)によって拘束される。病気で裁判に出るのは無理だと診断されたため帰国した。(この時はサッチャーが策動したと言われている)
その後もピノチェトは逃げ切りをはかるが、2004年にはついに免責特権を剥奪され、左派の活動家に対する誘拐・殺人の罪で告発される。さらに不正蓄財の容疑でも捜査が進められ、妻と息子が逮捕されたり資産を差し押さえされたりした挙句、今年の10月には香港の銀行に9トンもの金塊を隠していたことが発覚する。
こうして身包(みぐる)みをほぼ剥がれた状態で、彼は最晩年を迎えていたのだ。
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