近き死より
つひに吾も枯野のとほき樹となるか 野見山朱鳥
なんだか12月の声を聞いてから20日までが早かった。3日ごろから、2006年回顧の記事や番組が出始めて、気が早いなあと思っていたら、今年も残すところ10日をきった。
今年は訃報に目を奪われることがよくあった。新聞を開くと、1面の次は3面の訃の欄に目を進めるのが常となった。知っている名前を見出すと、どこかほっとするという奇妙な気分をもつようになった。
訃報記事で目についたのが、死後数日経ってからの発表というものだ。亡くなってすぐの報告ではなく、故人は×日前亡くなったが希望で発表が本日となった、という但し書きがつく記事が増えたように思う。虚礼廃止のためではなく、単に大騒ぎしてほしくない、家人だけでゆっくりと別れていきたいという、本人と家人の願いから来ているのではないだろうか。吉村昭氏の場合はその意思が明瞭だった。茨木のり子氏にもそれを感じた。
先日、欄にエッセイストの十返千鶴子氏の名前を見つけた。85歳と記してあったが、もう疾うに亡くなったと思っていたので意外な気がした。30年前に活躍していた人物だ。この30年をどんなふうに生きてきたのかと、傍にいる人から聞きたいような気もする。村上元三、多々良純さんらにも同じ感慨をもった。
仕事柄、この人と一度は仕事をしてみたかったと思ったのは、今村昌平監督と鶴見和子さんだ。ぜひ謦咳に接したかった。一度、接触を図ろうと計画したのは経済学者の都留重人さんだ。この人の人生をきちんと記録したいと考えたのだ。手紙を差し上げたら、丁重なお断りがあった。
面識があったのは、久世光彦、沢田駿吾、宮川泰、青島幸男氏らだ。久世さん以外は植木等さんの友人であった。なにかグループで天国行きしたようなかんじだ。久世さんとて実相寺昭雄氏とそろってあの世詣。その不思議さは仲谷昇、岸田今日子さんら元ご夫妻。
日本ばかりではなかった。ポール・モーリアさんとは直接会わなかったが、彼の紀行番組を制作したことがあったので訃報には驚いた。
俳優のフィリップ・ノワレさんは「ニューシネマパラダイス」より「イル・ポスティーノ」が心に残った。
一夜づつ淋しさ替はる時雨かな 巴人
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