そんなバナナ
本日私は少しおかしい。変だ。何か午後から自分でありながら自分でない気がしてならない。
夕方になって、同じ話を今日何度も繰り返しているよと、同僚のO君から指摘されて、あっと思った。何かに憑依された状態があるのではと自分でも、午後からずっと疑っていたのだ。
心当たりは本日11時半から銀座三笠会館で、内田編集長、作家の平井和正さんとお会いしてからだ。内田さんと大伴昌司の映画化について意見交換をするため、私は今朝大磯から有楽町に出た。そして、三笠会館で内田編集長と意見を交わした。そのときは平常だった。自分の意見も、自分の脳内の中の想像も、区別して話が出来た。
ところが、平井さんが現われた頃から、意識の呂律が回らなくなった。自分で話していて、何か夢の中にいる心地がするのだ。きちんと声に出したことと、自分の頭の中で夢想したことがごっちゃになりはじめたのだ。
別に、初対面の平井さんが奇天烈だったわけではない。どちらかといえば、想像していたよりずっと実直な印象をもつ人物だった。高校の古典漢文の教師のような印象を抱いた。
でも、内田編集長、作家平井和正、私と3人で大伴昌司の話に花が咲き始めると、私の意識が混濁してきた。自分で口にしたことと、考えたことの区別がつかないのだ。頭の中がもやもやしてきた。
途中で、私は気づいた。あれえ、これが噂に名高い、「大伴昌司降臨」かと思った。大伴さんがよく降りてくることは、内田さんから聞いていた。私自身、彼のドキュメンタリーを制作しているときにフシギなことに遭遇していた。
断っておくが、私はいわゆる憑依体質ではまったくない。そういうオカルトは好きだが、さみしいぐらい私には霊感というものがない者だ。その私が、本日はどう考えても大伴昌司に憑依されたとしか思えない出来事に次々とあったし、私の言動もオカシかったとO君が指摘するのだ。
指摘されて、私もはっと思い返した。
平井さんは有名な「幻魔大戦」の作者であり、古くは「エイトマン」の原作者である。SF作家クラブのなかでも大伴さんともっとも仲の良かった人であり、彼の出世作「エイトマン」の編集者が内田さんというわけだ。この三人は気があったとみえて、よく行動を共にしたらしい。だから、大伴が亡くなったとき、この二人に大伴が死後のメッセージを残そうとしたのは理解できる。有名な話が、大伴のお墓のことだ。
彼の墓は鎌倉霊園にある。広大な墓所で、彼が埋葬された頃は開発が始まったばかりで、彼のお墓の周辺にはまだ墓はなかった。そこに有名な墓碑銘「大伴昌司―天空の彼方ウルトラ星に旅たつ」と刻まれた墓が立つのだが、一周忌のときSF作家や内田編集長が墓参したとき、とんでもないことに一同気づいたのだ。大伴の墓の後ろと横に立つ墓の名前が、なんと内田家、平井家となっていたのだ。偶然とはいえ、一同驚愕した。
内田、平井両氏はこういう因縁を大伴にもっている。その磁力の強い二人に本日会って、私もいささか何かが起きたようだ。としか考えられないくらい、フシギなことが本日私の身の上に起きている。
同僚のO君は面白がって、「いいじゃないですか。天才が憑いているんですよ」と冷やかすが本来まったく霊感のない私になんでという思いがしきりにしている。
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