青島さんの死
青島幸男さんが昨日20日、骨髄異形成症候群のため死去した。74歳だった。
昨年、植木等さんのドキュメンタリーで青島さんに登場してもらったときにお会いしたことがある。そのインタビューを高田馬場のスタジオで収録した。その印象はこのブログの2005年10月24日に、「意地悪ばあさん、カムバック!世間を茶にする男」と題して書いた。
あのときに書けなかったことがある。本番は朝9時過ぎだった。自家用車で現われた青島さんは足取りが覚束なかった。あの青島も老いさらばえたなと思ったが、近づいて驚いた。酒の匂いがぷんぷんした。おそらくウィスキーだろう。朝の9時だ。顔を見ると、つやのない皮膚に目がとろんとしていた。酒を飲まずにいられない境遇、心境なのだろうか。インタビューは大丈夫かと危惧した。
ライトが点灯しビデオが回ると、青島さんの表情はがらりと変わった。昭和30年前後のテレビ草創時代を、息も切らずに話した。実に楽しげに懐かしげに語った。もう一度、あの頃のことをやってみたいと言って話を結んだ。テープが止まりライトが消えると、またあの無気力な老人に、青島さんは戻っていた。「レナードの朝」のレナードが再び闇の世界に戻っていったこととよく似ていた。
支えられて、車に戻ってゆくとき私は間近で頭を下げると、熟柿臭い息がもれた。飲まずにいられない心の深い闇を見た気がした。この人の失意の深さを知った。
27歳で放送作家としてデビュー。テレビ番組「シャボン玉ホリデー」の脚本・構成を担当、自らも出演し、「青島だぁー」というギャグでお茶の間の人気者になった。「意地悪ばあさん」では毒舌の主役まで演じた。やがて、小説「人間万事塞翁が丙午」で直木賞を受賞する。映画も製作する。才人だった。
68年には参院全国区に出馬、高位で初当選。その後、連続4回当選した。消費税の強行採決に抗議し89年に議員辞職。92年、参院比例代表で5回目の当選を果たした。リベラルな政治姿勢に私も好感をもった。
そして 95年には都知事選に出馬する。無党派層の圧倒的支持を得て当選。世界都市博覧会を公約通り中止した。しかし、指導力を発揮できない場面も目立ち、1期で引退した。 この時の無残さは目を覆いたいほどだった。
この後に都知事になったのがイシハラ氏だ。青島さんにとってこれほど口惜しいことはなかったろう。その後2004年に選挙に出るが惨敗する。政治の季節は終わっていた。
さあ、これから再び、ヨシモトに代表される関西系の笑いと違う笑いを、青島さんは見せてくれるのではないかと期待するわれらを裏切って、昨日昇天した。波乱に富んだ人生だった。合掌。
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