定年再出発 |
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あしたのジョーのエートス
団塊の世代にとって1968年は大切な年にあたる。と直感するもののその理由がまだはっきりと把握できない。だから、まずその年に起きた事件事象を呼び出して、当時同世代、いやまず私は何を感じていたかを探ろうと思う。 新年初っ端から本題に突入した。1月1日号の「少年マガジン」であしたのジョーの連載が始まったのだ。正確に言うと発売は前年の12月15日であるが、とにかくこの年はあしたのジョーがドヤ街に現れたときからこの年は始まってゆく。 「あしたのジョー」をプロデュースした編集者宮原昭夫は来る70年代は〈ニヒリズム〉の時代だと見ていた。 《カネ、落ちこぼれ、モヤシっ子、フリーセックス、公害…・・。1970年代が虚無感漂う時代になってゆくことは間違いないことのように思えた。》 ということで原作の梶原一騎と議論したとき、キャラクターのイメージを「ニヒル」で行きたいと申し出る。それを聞いた梶原は。「素晴らしきニヒリストだね。新しいキャラクターが、創れるかもしれないなあ」と答えたそうだ。 世界情勢ではベトナム戦争が泥沼化していた。アメリカの傲慢な態度に若者(いや大学生というべきか)は苛立ちを覚え始めていた。 1月19日、私の誕生日に原子力空母エンタープライズが佐世保に入港し反対の声が高まった。これを認めることはゲリラとして闘うベトナム民衆に刃を向けることと同じではないかと、クラスメートが私に口角泡を飛ばして語った。 1月29日、東大医学部で無期限ストに突入する。東大闘争の始まりだ。まさか最高学府と乙に澄ましている場所から反乱の火が上がるとは思わなかった。 1月30日、ベトナムでベトコン(ゲリラ)が攻撃に出た。テト攻勢だ。超大国アメリカにほとんど素手で戦うベトコンというゲリラたちに、私は感動した。 2月26日、成田で空港反対の農民と支援する学生が機動隊と衝突した。小川紳介たちは農民の側から撮影を始めていた。成田の農民とベトナムのゲリラが重なって見えた。 3月16日、ベトナムでアメリカの戦争犯罪が明るみにでる。ソンミ村虐殺事件だ。アメリカの退廃は極まったと実感した。本国アメリカではサイケデリックというドラッグ文化に若者は溺れていた。 4月、日大で学園闘争の火の手があがる。すさまじい弾圧の中で、栄光の500メートル行進が行われたという噂が、私のいた金沢にまで流れて来る。東大闘争より大衆的な広がりが起きてゆくのではないかと予感した。 5月、世界同時革命の様相があらわれる。パリで五月革命がはじまったのだ。日大では全学共闘会議が結成される。 5月8日、イタイイタイ病が公害病として認定される。高度成長の負の代償が弱い部分に現れてきた。 7月1日、郵便番号制度が実施となる。これは郵便局の合理化の一つだとして、番号欄に「マル生粉砕」と私は書くことにした。これが今も習慣となっていて、自宅の番号すら知らないし覚えない。 全国で54の大学が紛争中と警察庁が発表する。夏休みに帰郷すると、高校時代の友だちは各大学の闘争状況をお互いに情報交換した。 7月11日、べ平連が集会を開く。 9月、やっと水俣病が公害病と認定される。 10月5日、三島由紀夫が楯の会を結成する。三島が分らなかった。一方で「黒とかげ」のようなエグい芝居に出演するかと思えば、超国家主義的行動を次ぎ次に起した。 10月21日、国際反戦デーで金沢で私はデモに参加した。新宿では駅が占拠され700人が逮捕される。後に新宿騒乱事件と呼ばれる。新宿歌舞伎町はジャズとヒッピーがたむろする街と知って、上京すれば必ず私はそこを目指した。今の渋谷センター街のようなものか。 10月31日、北ベトナムへの攻撃を中止するとジョンソン大統領が表明。 12月10日、3億円事件が起きた。何も感じない。世間はいざなぎ景気だとかで浮かれているのだ、こんなことも起きるだろうと思っていた。だからどうしたという気分だった。 この年の国民総生産(GNP)が発表され、アメリカに次いで世界第2位となる。 この年見た映画でもっとも心に残ったのは「人生劇場・飛車角と吉良常」だった。鶴田浩二に憧れた。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2006-12-09 20:39
| あしたのジョーの、あの時代
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