浅草、夢の町
桑原甲子雄という写真家がいる。木村伊兵衛の一回り下の世代だが、戦前の東京、特に浅草を撮影した写真家として知られている。
といって、彼は当時アマチュアのカメラマンだ。
彼の家は質屋を営んでいた。長男だったので家業を継ぐこととなり大学へ進学できなかった。それに引け目を感じていた桑原は欲求不満の捌け口として写真を撮って歩くことを趣味とした。本人によれば「ただブラブラ歩いて、メモというか、一種の日記みたいなものですね」ということだ。それが戦前の下谷の世界を記録する貴重な写真となった。
彼の写真集は「夢の町」と題されている。浅草のエノケン、レビュー、歌舞伎、築地小劇場、江戸の老舗、など昭和11年から19年にかけての、長閑な”夢”のような世界が記録されていた。
この本を手にしたのはベルエポックな浅草を見るためではない。そこにはさみこまれた珍しい作品を目にするためだ。世界的ダンサー崔承喜の写真だ。
昭和10年(1935)、鎌倉由比ケ浜で、オリエンタル写真工業主催の撮影会が開かれ、そこへ崔承喜がモデルとして登場したのだ。桑原は海辺の彼女のスナップを撮影して2位に入選する。そのときの印象をこう書いている
《私は当日の崔承喜の輝くばかりの肉体の美しさの印象が濃い。それはエロスの女神というにふさわしかった。私は大勢の人に押されて、カメラをもったまま彼女の背中にストレートに触れた。それは戦慄に近かった。》
水着のような軽装に白いベールをまとった彼女の肢体は、今見てもハットするほど美しい。そして桑原の写真の中に、崔承喜の伝説的な跳躍があるのだ。あらためて、戦前の彼女の大きさを知る。
さて、この写真を資料室で見つけてきたのは、京都からの珍客による。大学の教え子がこの崔承喜を卒業論文に書くため、私のところへやって来たのだ。
実は、彼女にこの主題を扱ってみたらどうかと勧めたのは私である。私自身20代から関心をもって調べてきたが、なかなか番組の企画としてパスすることがないまま、資料は机の中に埋もれていた。教え子の彼女が卒論として戦前の植民地下の韓国言論をやろうとしていると聞いて、この「崔承喜」という存在を調べてみたらと”そそのかした”のだ。
そして昨日、その主題で一応中間発表したことを私に報告しがてら上京してきたのだ。
そのリポートを読んで短期間でよく調べ勉強した後が見られ、私は感心した。そこで、さらに細かい資料の存在を教えるため、資料センターの文献を探りに渋谷まで出かけ、そこで桑原写真を目にすることとなった。他にも、崔承喜の師匠である石井漠の自伝や世界的ダンサーの文献を手にすることができ、彼女は嬉々として帰っていった。
論文が仕上がったら報告しなさいよと、私が冷やかすとにこっと笑って、彼女は高田馬場へ出かけていった。早稲田の図書館、演劇図書館でもうひとふんばり資料をあたるということだ。さいきんの女子学生は本当によく勉強するしがんばる。それにひきかえ、男子は・・・・・。
さて、桑原の「夢の町」を見ていると、浅草の古き良き時代が煙霧のように浮かび上がってくる。
実は、今夕浅草で先輩のTさんたちと飲む約束をしている。5時半に六区で落ち合うのだ。久しぶりに観音さまの裏通りを歩いてくるとする。
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この写真はきわめて珍しい、メキシコでの崔承喜のスナップだ。隣にいるのは大伴昌司の父四至本八郎。