ジョーのアイロニー

いよいよ「あしたのジョー」の時代を番組として描くことになる。放送は来年3月ごろとなろう。
長年にわたり、大伴昌司の時代をリサーチしてきたが、彼が活躍した時期と「あしたのジョー」連載期間がしっかり重なるのだ。そして、この両者はわれわれ団塊世代にはぜったいに忘れられないイコンでもある。
力石徹が死んで葬式が行われたのは、1970年3月24日だった。講談社の講堂にファン700人が駆けつけた。小学生からサラリーマンまでさまざまな世代が集まったが、やはり大半は大学生だった。この頃から漫画の青年化が始まっていた。実は、私はその世代だ。
1947~49年生まれのベビーブーマーは、1968年に大学闘争ののろしをあげる。その時期に「あしたのジョー」が少年マガジン誌に登場する。70年安保前夜だ。
そして70年に安保は自動延長し、学生運動はしぼんでゆく。まさにそのとき、ライバル力石はジョーに勝負で勝ちながら、リングを降りた後落命する。ファンはまるで身内が死んだのと同様のショックを受けた。寺山修司らの手によって葬儀が行われた一週間後、日航「よど号」は赤軍によってハイジャックされる。
北朝鮮に向かうとき、兵士の田宮高麿は「われわれはあしたのジョーである」という言葉を残して日本を飛び立つ。そんなことってありか、と私は動転した。
この田宮も先年死んだ。まだそんな年齢でもなかったのに。その後から北朝鮮のさまざまな所業がメディアの中で飛び交うのだが、生きていたらこの状況をどう見るだろうか。
力石の死後、ジョーは魂の抜け殻となった。長い彷徨のすえ、パンチドランカーとなったジョーはリングで燃え尽きることに希望を託すようになる。その言葉。「俺はそこいらの連中みたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない。ほんの瞬間にせよ、まぶしいほど真っ赤に燃え上がるんだ。そしてあとには真っ白な灰だけが残る・・・・・」
ジョーに思いをこめた私らは、その後企業社会の中で必死で働いてきた。私は昨年定年をむかえたが、おおぜいの同世代は来年2007年、60歳定年をむかえることになる。胸に手をあてて聞いてみる。「お前は、真っ白になったか」と。
そこには、風が吹くばかり――。
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