親があっても子供は育つ
親がなくても子は育つのではない、親があっても子供は育つなのだと言ったのは、たしか坂口安吾ではなかったか。
26年前の今日私は遅い父親になった。当時同級生らは20代で結婚し子供を得ていたが、32歳の私は遅い父だったのだ。子が誕生したとき、なぜこの子が自分の元に来たのかフシギでならなかった。新生児室のガラス窓から何時間眺めていても飽きなかった。
そうして待望して得た命だが、1年経った冬になりよく病気をするようになると、憎らしく思えることも時々起きる。風をひく、耳が痛む、発熱をする、のどをやられる、しょっちゅう病院に通うことになる。苦しそうな顔を見ると心配だが、病院の待合室で長時間まつときにぐずられると腹がたってくるのであった。最初の子はおとなしかったからまだいいが、次の女の子はやかましいしよく夜泣きをした。徹夜の編集が続いて疲れて家に帰って寝ているときに、夜泣きをされると本当に頭にきた。よくばたばたと布団動かして「うるさい」とどなったものだ。
こういう体験があるから、私には児童虐待は”遠い出来事”には思えない。
電車のなかで、ぐずっている赤ちゃんに当惑している若い母親を見ると、「心配しなくていいよ」と声をかけたくなる。だれっだって子育てしながら何かしら鬼畜の親もどきになるときがあるのだから。子供が育ってうまくいったといってもそれは偶然にすぎない。たまたま恵まれていた、何か大きな力に守られていたとしか、私には思えない。
来年の企画のために現在リサーチをしている。テーマは児童虐待だ。広い意味でイジメもその中にはいるが、あえて私は母子関係にしぼって考えていきたい。さらに「家族」という問題にも切り込んでいきたい。それにしても事例のケースを読んでいると、胸が痛くなる。今、このときにも「助け」を求めているいといけな命があると想像するとつらいものがある。
12月に独協大学で虐待をめぐるシンポジウムが開かれるという情報を得た。まずここに参加することから始めよう。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング