リアルとファンタジー
昨日、ユン監督とドラマの手法ということについて話し合った。1時間以上に及ぶ論議はとてもエキサイティングなものとなった。その中でも心に留まった話を記しておく。
ユンさんはドラマという手法で映像表現してきた。私はドキュメンタリーという方法で映像を制作してきた。この2種類の手法の差異を痛感するエピソードを、ユンさんから聞きだした。
ある情景と出会ったとき(もしくは考えたとき)、ユンさんはそこにファンタジーを盛り込むように作ろうとする習性が自分にはあるという。人を励ますか人の心を純化させるようなイメージを作り上げたいと語る。ここでのイメージというのは心象まで昇華した“映像”を指していると思われる。
例えば、「冬のソナタ」のある場面についてユンさんはこう語った。タイトルバックにも使われた高校時代のチュンサンとユジンの雪のシーンを作るときのことだ。シナリオ作家の原稿には、「雪の中で二人戯れる」としか書かれていなかった。そこでユンさんが考えて“演出”したのが雪だるまを作って小鳥のように可愛いキスを交わすことだった。
ユンさんはこう考えた。恋愛というものは当人同士は真剣であっても傍目から見ると幼く見えることがよくある。あの場面で二人はわざと子供っぽいことをしているのではない。一途に戯れると幼く見えるということを表現したのだ。
このユンさんの言葉を聞いて、私は彼の人間洞察の深さに感心した。と同時に、日本の
青春映画のワンパターン現象を想起した。恋人同士が渚で戯れる場面だが、水を掛け合いしているわざとらしいワンパターン演技が以前から気になっていたが、ユンさんの話を聞いていて、あれは子供っぽさしか表すことができていない、恋愛感情の真率さに至っていないということだと腑に落ちた。
ドラマという手法においてユンさんはイメージにファンタジーを盛り込むとの重要さを力説した。
それにひきかえ、ドキュメンタリストとして私は情景を見たときできるだけリアルに見ようとする。リアルにとらえようとする。
この点に、両者の「人生の習慣」(大江健三郎)が異なっていることが分かって、私にはとても面白かった。
と言っても、二項対立というわけでもない。リアルに見ようとする私は、情景の中でこれが本質だと「解釈」して、その対象を見ているのだ。けっして透明人間でもなければ神様でもなく、その現場にいる者として対象を私自身というフィルターを通して見ているのである。映像は純粋客観ではなく、私という主観を通して切り取られた現実(ドキュメント)だ。そこから、ユンさんのファンタジーを盛り込んで表現するという地点までそれほど遠くもない。
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