長命のこと
山田風太郎は74歳で自分は思いがけず長命をしたと書いている。さもありなん。彼の父も母も40代で死んだのだ、それに比べて長生きしたと感じたのであろう。
私の父の家系は短命であった。祖父は30代、祖母は40代で死んでいる。大正、昭和という貧しい時代であったからもあるが、それにしても短い。父は70で死んだ。当人としては風太郎同様よくここまで生きたという感慨があったにちがいない。酒が入ったときなど本音をもらすことがあった。
父はよく病気をした。小柄だったから人並みに働くと体に相当負担がかかったのであろう。血圧が高かった。ことに冬場は値が上がってしんどそうであった。二タ月に一度、山科小栗栖へ灸(やいと)をすえに行った。これをやると体が軽くなるという。灸の跡に和紙に膏薬を塗ったものを貼り付けておく。これを一日に一度張り替えるのだ。背中だから自分では出来ない。母か私が手助けをすることになる。これが、私には嫌だった。
膏薬の紙を剥がすと、背中の黒い穴からどろりと膿のようなものが出てくる。それをふき取って新しい和紙を張るのだが、体の内側から押し出してくるように垂れる膿を私は嫌悪した。ところが父はこの滲出が気持ちいいらしい。ふきとると、「おうっ」と声にもならない声をあげるのだった。
この快感が最近分かるようになった。タケ先生に鍼灸をほどこしてもらうときに得も言われない快感が体を貫く。これは私が老人になりつつあるということか。
現在58歳。あと一ト月で59になる。思えば遠くへ来たものだ。よく命がつながってきたものだ。小学校2年の初夏、夏休みまで時間が少しも経たないと不満だった。時間の流れが遅いと思っていた。象の時間だ。少しも時間が経たないとうんざりしていた。こんなにゆっくり時間が流れて大人になっていかざるをえないのかと思うと気が滅入った。24歳の春にも時が停滞することを感じた。それ以外の私の人生では時は慌しく流れた。
番組を作り始めると、その制作期間が時間のひとつの単位になった。だいたい1本しあげるのに2~3ヶ月かかる。5本ほど作ると一年が終わる。一年経つのが半年ほどと感じた。蟻の時間だ。そういう蟻の時間感覚でこの30年の月日が流れた。
定年後、時間は遅くなったり早くなったりして一定ではない。このあと、私の時間は蟻の時間になるのか象の時間になるのか、どっちだろうか。
風太郎は老化についてこう言っている。60代はゆるやかなカーブを下がってゆく感じだが、70代になると階段状になる、と。その階段も1年ごとでなく、一ト月ごと、いや一日ごと老化してゆく感じと書いている。ということは、50代の私が感じている老いなんて、まだまだ“若い”とうことになるらしい。
さて週末となった。今朝TSUTAYAで返却に行ったら、ついまた借りたくなった。邦画を2本。「真昼の暗黒」と「復讐するは我にあり」。
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