石原吉郎の晩年
詩人石原吉郎は関東軍の特務機関に配属されたためにシベリアに8年間抑留された。情報部に勤務していたことで、白系ロシア人の密告でスパイ行為の容疑を受けたのだ。重労働25年の宣告を受けた。実際には8年の強制収容所暮らしとなるが、その体験が終生彼を苦しめた。信仰をもっていたが、「神は沈黙したままだ」と苦く思うことしかできなかった。
彼の代表作『望郷と海』が1972年に出版されたとき購入して一読した。私の心臓がぐいと揺さぶられたことを覚えている。大量虐殺について述べた彼の箴言が、その後原爆被害を考えるときの私の指針となった。
彼の人生を描いた『石原吉郎「昭和」の旅』を昨夜読んだ。彼の晩年が精神に異常をきたしていた期間であったことを知って、やはりという思いとかくも長く苦しむものかと瞑するほかない。
彼は62歳で死んだ。80歳近いと思われる風貌となっていたが、まだ60過ぎだったのだ。
晩年近く、職場で起きたトラブルで彼がとった異様な行動――。
仕事が遅れている人を石原が手伝おうとしたところ、その人から激しく拒否された。《その日、石原は帰宅するなり、服を着たまま風呂に飛び込んで泣き、翌日から出勤せず、五日間も飲み続けた。》
この酒への依存が彼を晩年に導いてゆく。われわれから見れば些細な拒絶としか思えないことが、石原のシベリアを想起させるほどの苦しみとなっていた。かくもシベリア・ラーゲリ(強制収容所)の体験は深い傷となっている――服を着たまま、風呂へ飛び込む。
大岡昇平との対談で石原が語った言葉。
「もし許されるとしたら、誰が許すかということですね。人間に許す資格はないだろうと思うのです。どうしても神という問題が出てくるのです。ただその場合、ぼくは許されているというふうに感じないのです。黙って神がそれを見ているのではないか。(略)
永久に(神は)なにも言ってくれないだろうと思いますね。」
昭和52年11月、石原吉郎は浴槽の中で死んでいたのを、訪ねてきた人によって発見されている。心不全であった。事故の死であろうが、この出来事は私にアウシュビッツ生還者プリーモ・レーヴィの死を思い起こさせる。
石原の「名称」という詩が、私の心に留まる。
風がながれるのは
輪郭をのぞむからだ
風がとどまるのは
輪郭をささえたからだ
ながれつつ水を名づけ
ながれつつ
みどりを名づけ
風はとだえて
名称をおろす・・・
ロシナンテというのは、石原が所属した詩の同人。彼の代表作には「サンチョパンサの帰郷」がある。
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