樹木への虐待
恵比寿駅そばに、樹にイルミネーションを施しているレストランがある。これがを美しいといえるのだろうか。見苦しい。私は嫌いだ。いかにも客集めといった魂胆が透けて見えて不愉快だ。
だいいち、樹がかわいそうだろう。昼間に十分人の目を楽しませているのだ。夜ぐらい静かに寝させてやれ。たしか、植物は太陽光を使って光合成をするはずだ。こういう人工光の場合はどうなるのだろう。やはりせっせと合成しているのかな。とすれば働きづくめで休む暇がないではないか。お城や東京タワーをライトアップするのは分かるが、自然物に照明をあてることもないだろう。
同じ理由で盆栽は嫌いだ。あれのどこがいいのかと思ってしまう。人間の驕りとしか思えない。そんなに樹木の枝ぶりが見たければ、山奥まで出かければいいじゃないか。
樹木の傍に空き缶を投げ捨てる奴は許せない。樹は動けないのだぞ。行って拾うわけにはいかないのだ。きわめて不自由な体の植物の前に平気で缶をぽい捨てする奴、それを許すわけにはいかない。
樹に「人格」があると思ったのは大江さんの故郷へ行ったときのことだ。大江家から裏山を望むと一本の樅ノ木が見えた。大江さんは子供の頃からそれを「モミエモン」と呼んで慣れ親しんできた。
撮影で、その樹に大江さんが近づいたとき、モミエモンは嬉しそうに光り輝いたと思った。嘘じゃない証拠に、そのときのコダカカメラマンが撮った映像を見れば分かる。光をいっぱい浴びたモミエモンが大江さんを見て笑っていた。このときの映像は私の宝物だ。
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