秋の子
駅へ向かう道のルートを変えた。ツヴァイク道を出てから大ガードをくぐって駅に行っていたが、くぐらずに山際を歩くことにした。以前その道を使っていたが、大廻りするので避けていた。気分を変えて本日はその山際を歩いたのだ。
料亭の跡がある。店を閉じて無住となっているが、ずいぶん広い庭がある。塀越しにカラスウリが赤い実を垂らしていた。これが赤くなればなるほど寒さは厳しくなる。そばでツワが黄色い花をつけている。
童謡の「秋の子」を思い出す。このブログは電車の中で書いているので歌詞はうろ覚えだが書き出してみよう。
ススキの中の子、一、二、の三人
はぜ釣りしてる子、三、四、の五人
どこかで焼き栗 焼いている
ツバキを飲むのは 何人だろうな
これは魚博士の桶谷繁雄が作詞作曲した歌だ。桶谷博士はラジオ番組で活躍した人物で、私の子供の頃はよく知られていた。子供の疑問にも親切にきちんと答えてくれる紳士だった。後に愛国心や道徳を説くようになっていささか落胆したものだ。
ところでこの歌はどことなく古臭い。ツバキを飲む子など今時いない。焼き栗も焼かない。はぜ釣りする子もいない。でもこの歌が好きだった。今でも風呂に漬かっていると鼻唄になって出てくる。
音楽の専門家からメロディがおかしいとこの歌にクレームがついているということを、子供の音楽番組を担当してから知った。
イチ、ニィ、サンニン―。
このイチという音が話言葉のアクセントと違うというのだ。だから素人は困ると言わんばかりのクレームであった。冗談じゃない。そういう似非西洋音楽理論なんて真っ平だ。いい歌はいい。消えずに残る。
森繁久彌が「知床旅情」を作詞作曲して有名になってから、この歌のコード進行は「早春賦」とまったく同じだと揶揄するむきがあった。似ていてなぜ悪い。それでもみんなが口にするのは心に響くからであろう。音楽家は業界のウチとソトをすぐ区別したがる。
とここまで書いて会社へ到着し、ネットおよび資料を検索すると、この情報が大間違いであることが判明した。作詞はあのサトーハチロー。作曲が魚類学者の末広恭雄だった。桶谷繁雄は工学博士でエッセイストだった。たしかに桶谷は晩年反動化していたが、末広はそういうことはない。ちょっと安心した。
しかも驚いたことに末広の祖父は、明治期の大ジャーナリスト末広鉄腸であった。
うろ覚えの歌詞はあっていた。
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