漫画の名作二題
「巨人の星」は1966年(昭和41年)から1970年の12月まで連載される。二年遅れて「あしたのジョー」が1968年から1973年まで、同じ「少年マガジン」誌上に登場する。
「巨人の星」が始まったとき私は大学1年だった。少し背伸びがしたくて少年誌を遠ざけていた。さらに巨人嫌いであったので、タイトルを見ただけで読む気がしなかった。だが「あしたのジョー」は連載が始まるとすぐ夢中になった。絵が大好きなちばてつやで、ボクシングという格闘技の世界が舞台だったからだ。
巨人、星一徹、梶原一騎という「巨人の星」のイメージは体制的で封建的だった。それに比べて少年院上がりの暴れ者という[あしたのジョー」というイメージは反体制的だった。当時、70年安保改定をむかえるに当たり、学生らは反体制を口にしていたから、多くの大学生は「あしたのジョー」へ肩入れした。作家の高森朝雄というのはそれまで聞いたことがないが、地味で真面目そうな印象をもった。少なくとも傲岸不遜な梶原一騎とは正反対の人物だと勝手に想像していた。
中学生の頃、貸本漫画に夢中になったことがある。そこには従来の荒唐無稽な漫画と違って、社会的な人間臭い物語を描く「劇画」という手法が台頭していた。大阪の劇画工房を梁山泊とする、さいとうたかを、辰巳よしひろ、佐藤まさあき、K元美津らである。その流れが広がっていた。流れには2種類あって絵のうまいさいとう流と社会的でちょっと高尚なストーリー中心の佐藤流である。
さいとうの絵の系統から登場してきた川崎のぼるは、圧倒的なうまさで私の心を掴んだ。西部劇の馬を描かせたら天下一品だった。銃もリアルだった。リボルバーの弾層が発射ごとにカチャっと回る、その細部がきちんと描かれていたのだ。
その川崎が「巨人の星」を描き始めたとき意外な気がした。彼はそれまで野球のようなスポーツはほとんど手がけていなかったからだ。しかもストーリーも自分で考えるのでなく、作家が別にいるのだ。なにか、川崎に裏切られた気が、そのとき私はした。
「あしたのジョー」の画を描いたちばてつやにはかつて「ちかいの魔球」で惹かれ、「紫電改のタカ」で圧倒されていた。絵にスピード感があり黒目がちの主人公の顔が好みだった。「あしたのジョー」の出だしにおいて、まず丹下段平といういかがわしいトレーナーのキャラクターに私は“フック”された。
この正反対の2つの漫画の原作が、同一人物であると知ったときの驚きは今も忘れていない。何か人生の秘密を知ったような、現実とはこういうものだということを諭されたような、気がした。
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