インテリの博徒
森巣博というオーストラリア在住の博徒がいる。妻は表象学者のテッサ・モーリス・スズキでイングランド系オーストラリア人だ。彼女のミドルネームのモーリスは森巣だ。
森巣は私と同じ1948年生まれで日本で編集者をやっていたが、1975年に日本を脱出しロンドンを中心に賭人人生をはじめ、その後オーストラリアに移住して博徒を続けているという異色の人だ。
彼の生き方についてはいずれまた考えるとして、著書『無境界家族』を読んでいてはたと膝をうった箇所を、忘れないうちに書いておこう。
それはここ数年私自身格闘(それほど熱心に読んだわけではないが)してきたジャック・デリダについての話題だ。
14歳の天才の息子(とても興味深い。頭脳が格段によく20歳でイギリス名門大学の教授となった。数学者)が一時デリダに傾倒していたが、森巣にはチンプンカンプンだった。そこで大学の先生であり、息子の母であり妻であるテッサに彼はデリダの事を尋ねた。すると、テッサは
「あれは難しい。でも、フランス語で読むと、なんとなくわかったような気がする。あれがフランス語のもつ力よね。英訳されものは難解だし、日本語で翻訳されたものを読んだことがあるけれど、まるで意味不明だった。あれを読んで理解している人が多い日本には天才がいっぱいいるってことでしょうね」
皮肉もいっぱいあるけれど、要するにそれほどたいしたことが書かれているわけではない。日本語表現であれば、理解しにくいのは当然だろうとテッサは言っているのだ。それを聞いて、森巣も安堵している。
やった。分からないのは私だけではないのだ。かつ、分からないのは訳出の問題も相当あるということなのだ。だいたい、散種とか差延なんて言葉は日本語としてこなれてないよな。
さらに天才の息子が、後にポストモダン哲学についてこう切り捨てていたと、森巣は書いている。
「99パーセントが屑(ラビッシュ)。残りの1パーセントが光輝いているんだよな。あの手法は使える。」
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