忘却の穴
ハナ・アーレントが忘却の穴と呼んだものがある。そこへ入り込んだらけっして表へ記憶が出て来ないものを指すのだ。
《だれもがいつなんどき落ち込むかもしれず、落ち込んだら最後、かつてこの世に存在したことがなかったかのように跡形もなく消滅してしまう、まぎれもない忘却の穴。》
アーレントの場合、それはアウシュビッツのガス室を指していた。ガス室はなかった、あれは人間を殺すものでなく害虫を殺すために作られたという様な説明が出現して歴史を修正しようという動きが出てきたときに、ユダヤ人であるアーレントは忘却の穴と呼んでそのウゴキを批判したのである。
今朝の読売新聞の社説で「問題の核心は『強制連行』だ」と書いている。いわゆる従軍慰安婦問題で、軍の関与があったかどうかが問題の核心だと言うのだ。それを説明するに、先年河野官房長官が発言したお詫びは科学的根拠がないもので外交的配慮でなされたものだと、指摘する。そのためには歴史家の研究に委ねるべきで、軍の関与があったかどうかを明らかにすることがまず重要ではないかと社説子は書いていた。
慰安婦についてはその証拠や記録がことごとく破壊されたと伝わる。民間の記録は一部残ったが、軍が関与したと推測されるようなことはすべて消えたと言われる。関与があったと伝えた全国紙は、その事実に関わったとされる人物の証言を根拠とした。ところが、彼が語ったことは虚偽であったため、この言説はそういう国外の言説におもねる人間らの捏造ではないかと疑われることとなった。だから、この事実の検証が急務であると読売新聞は書いたのだ。
記憶がないとか忘れたとかということではなく、その記憶は消されたのではないだろうか。というのは、昭和20年代から30年代初めの大衆雑誌には慰安婦の存在があたりまえのようにして登場してくる。有馬頼義の「兵隊やくざ」には物語の主要人物としてまで描かれている。それは民間の「業者」によって組織されたというだけではすまないものを感じるのだ。一定の指示や便宜供与があったのではないだろうか。そういう都合の悪いものは、終戦時すべて破脚されたのではないだろうか。
これは忘却の穴に落ち込んだのではないだろうか。戦争が終わったときの混乱と湮滅はいろいろなところで聞く。母も勤務していた飛行学校の食糧やトラックなどが、古参の兵らによって無断で大量に持ち去られるのを見たと、私に教えてくれたことがある。8月15日から数日、国会周辺の官庁街ではあちこちで書類を燃やす煙が立ったことは、おおぜいの人によって証言されている。
アウシュビッツでも退却時、ドイツ兵が施設を徹底的に破壊していった。それでも生存者の証言や周辺の住民の情報によって、そこが殺戮の場であったということは浮き彫りになった。
が、ガス室だけは立証することが難しかった。そこを体験した者はほとんど大半この世に帰還できなかったのだ。証言することができない。「忘却の穴」となった。
《「扉の向こう側にあるのは、喪失である。声の、生命の、知識の、意識の、真理の、感じる力の、語る能力の喪失。この喪失の真実こそは、まさにホロコーストの内部にいるということの意味なのだ。しかしながら、この喪失は、その内部の真実を内部から証言することの不可能性をも規定しいる。》
人類の歴史は、これまでいくつ「忘却の穴」をもってきたのだろう。おそらく無数といっていいかもしれない。むしろ歴史はある偏りでもって語られてきただけであって、顕在化していない、できない事実というものが、私たちの後方にあるということを念頭に置いておくべきではないか。
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