寺山修司の俳句
寺山修司は高校時代俳句に熱中していた。一ヶ月に100句作っていたというから相当なものだ。
だが青年期に入って句作をぴたりとやめた。何かあったのだろうか。句は発表していないが、書店では俳句雑誌をよく立ち読みしていたと回顧しているから、俳句を忘れたわけではない。
晩年、対談などで俳句形式がどれほど優れているかを、口角泡を飛ばして語ったところを見ると、時間が残されていればまた俳句を手がけたのではあるまいか、と惜しく思う。
青年期の彼の表現形式は短歌で、私も20代に愛唱した寺山の歌がたくさんある。なかでも好きなのはーー。
マッチ擦るつかの間の海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや
この歌の原型の句があった。
凍蝶とぶ祖国悲しき海のそと
さらに、影響を受けたと思われる富沢赤黄男の句もおさえておかねばなるまい。
一本のマッチをすれば海がきえ
青春の帰郷を歌ってこれほどみずみずしい短歌はないと、私がひそかに思う寺山の作品--。
ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らむ
この歌にさかのぼって、寺山は俳句を作っていた。
わが夏帽どこまで転べども故郷
中学1年で作った句が心に残る。
便所より青空見えて啄木忌
嘘つき修司の骨頂。父は死んでも母は生きていたが、その母と別れ、さらに殺して句が出来上がる。
母と別れしあとも祭の笛通る
投げてさす孤児のナイフに夜の蝉
母恋し田舎の薔薇と飛行音
夜の海に薔薇捨つ母と逢へぬなり
母を消す火事の中なる鏡台に
暗室より水の音する母の情事
この2句を昇華して、次の短歌が生まれたのか。
大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ
寺山修司の母恋短歌は、早くから俳句で準備されていた。
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