ひえびえとなすこと
今朝は冷え込んでいる。6時過ぎに目が覚めた。眠れないまま句集を読んだ。
厳しい句に出会いたいと思えば飯田龍太へゆく。そして見つけた。
ひえびえとなすこと溜まる山の影
大磯紅葉山から湘南平を仰ぐと、冬仕度の山の青い影がひえびえと迫ってくる。
知らない俳人の句二つ。
病者らが見てゐて雁の列そろふ 田村菜穂子
小野分に百の木靴を鳴らし散る 角野良雄
良雄の句は晩秋の木枯らしを思わせる。朱鳥の句を連想す。
つひに吾も枯野のとほき樹となるか 野見山朱鳥
この句は自分の命を見極めたようにある。彼が死んだのはたしか52歳でなかったか。最期の句集「愁絶」に所収されている。いい題名だ。同じく最期の句集に「命終」というのがある。これも最期にふさわしい。作者は多佳子だ。俳人はタイトルのつけ方がうまい。余談だが、京都へ行くと京終という地名がある。それを見るたびにこの「命終」を想起する。その「命終」から。
毛糸編むや夫のこゑ幼かりし子のこゑ 橋本多佳子
「愁絶」にしろ「命終」にしろ、なんとなく人生の秋を思わせるタイトルだ。そういうニュアンスをもつ句なら万太郎がいい。有名なのは次の句。
湯豆腐や命のはてのうすあかり 久保田万太郎
これは鍋が恋しい時期が来るとすぐ思い出す句ではあるが、近年はもっと自虐的な万太郎句のほうがいいと思うようになった。
鮟鱇やわが身の業も煮ゆるかな
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