映画もテレビドラマも弱い
テレビドラマは衰弱する一方だ。どうして若者相手の同じような恋の話ばかりやっているのだろう。韓流が起こり「電車男」が流行った頃から、純愛というキャッチフレーズで安易なドラマが続々作られてきた。主役を演じるのはパターン化した芝居しかできない、若い女のタレントとジャヤニーズの若い男と相場が決まっている。
いつからかキャスティングがドラマの盛衰を決めるかのような風潮が業界でつよくなった。
すると人気者をかかえている事務所の力が強くなった。シナリオの力よりキャラクターの力が優先されるようになると、芝居は物語より役者の見せ場を中心に構成されるようになり、どうってことのない「オールスター映画」に堕していった。
20年前はシナリオ作家が尊重され、才能が次々に出た。山田太一、向田邦子、橋田寿賀子、倉本聡、早坂暁・・・、綺羅星のごとくだった。セリフの中に人生がつまっていた。
30年前はディレクター、監督が力を発揮した。和田勉、大山勝美、中村克史・・・、ドラマという虚構の中にヴェリテ(真実)を発見できた。
40年前からそのディレクターシステムの礎を作った先駆者がいた、岡本愛彦、今野勉、鴨下信一・・・。
NHKが社会派ドラマを作り、TBSが人間ドラマを作っていた。フジはこれという特性がなかった。そのフジが若者向け路線を手がけ、それが今の流れを形成するようになった。若者に阿るようなドラマが増えていった。
日本映画もその路線を踏襲するようになり、だんだんパターン化したつまらないほうへと流れていった。
今、若者のテレビ離れが進んでいる。娯楽はテレビ以外にもゲーム、ネット、ケータイと多様にあるから志向が薄くなるのは当然だ。
一方、中高年はツールを使いこなすことが苦手で、テレビのような単純操作に否応なく向かわざるをえない。現実に視聴者動向を調べると、どんどん高齢化しているのだ。
ということは、もっと大人向けのドラマを作ればいいじゃないか。それは大人の恋愛ドラマを作れと言っているのではない。「時雨の記」とか「愛の流刑地」のような、中高年が恋に落ちる話をしろと言っているのではない。大人向けというのは、鑑賞に耐える、熟成した内容をもつドラマだ。ディケンズや藤沢周平や三好達治のような、テレビドラマを見せて欲しいということだ。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング