やっぱりばれるのかなあ
NAZOさんからコメントをもらった。長崎というと、青春の思い出の地でそういう思いが(私の文章に)にじんでいるという指摘だ。
やっぱり分かるのかなあ。そういう気分ってやっぱり文章ににじみ出てくるのかなあ。本当に長崎は好きだ。というか、九州はよかばい。
そこに住む人が本当に屈託がない。今日も築町の電停に立っていたら、長崎のおばちゃんが修学旅行の中学生の世話をやいていた。「あんたら分からんかったら、人に聞かないかんばよ、ええね分かった?」とでかい声でおめく。ほっとけば良いのに見かねて九州人は声をかけるのだ。
そういう人情と稲佐山の裏側に焼ける夕焼けが、おいには忘れられんと。
今日の4時の飛行機に乗る前に26聖人記念館に行ってきた。殉教の地に立つキリシタン資料館だ。ここを訪れるたび、ルドビコという12歳の殉教した少年を思って胸が痛くなる。
彼はこの西坂の処刑場にあって、けっして死を恐れなかった。そして、高らかに口にした言葉は「パライソ、イエズス、マリア」だった。まるで大空に逃げる小鳥のように胸をそらして語ったと歴史は伝える。
この光景を思い浮かべると胸が張り裂ける。まして、この西坂で舟越正武の「26聖人記念像」の彫刻を目にすると、その思いはつのる。一途なルドヴィコの幼い表情が、私の心を鷲摑みする。
この西坂の処刑場から正面に稲佐山が見える。ちょうど西にあたる。夕暮れ、日没はその山に沈む。山の背中は真っ赤に焼ける。冬などことに美しい。
殉教ーーマルチリオのとき、少年ルドヴィコはその夕焼けの中に、パライソ(天国)を見ていたのだろうな。そうあってほしい。
こういう人たちが住む西の町、長崎。ここで若い日を過ごすことができたことが嬉しい。
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