この道を
南アの作家、ナディン・ゴーディマ〈Gordimer,Nadine〉に
『この道を行く人なしに 』という著書がある。これを本日目にしたとき、あれっと思った。だって芭蕉の句そのものだから。
中を拾い読みする。
1990年の南アフリカが舞台。アパルトヘイトはなくなったものの社会は以前不安定で不透明だった。そんな状況下では主人公のヴェラは「私と娘」の関係も「私と彼」の関係も、すべて曖昧さを許されない状況にあって再構築していこうともがいている。苦難な現実があってもそれでも自由を求め続け、傷ついても新しい出会いに心を震わせて生きていくアフリカ女性が描かれていた。
ナディンは南アのノーベル賞作家。作家自身、このタイトルは芭蕉の句からヒントを受けてつけたと書いている。やはりという想いと、なぜ芭蕉なんだろうという思いが交錯した。
芭蕉の句とは。”この道をゆく人なしに秋の暮れ”
芭蕉の最晩年の句である。確か死ぬ1ヶ月前に作られたと記憶しているが。この句はまさに芭蕉が心血注いだ俳諧の道における後継者不在のことを指すのであろう。だから、この道はまさに俳諧の道である。蕉門という一派を形成するほどにしたものの、その内部では弟子らの暗闘があったのであろう。その現実を目にして暗いものを芭蕉が抱えざるをえなかったのだ。この句のそばにもう一つ句を置いてみたらどうなるか。
”野ざらしを心に風のしむ身かな”
誰も行く人がなくても、たとえ旅の途中で倒れても、この道を行くしか私には道はない。という心境が浮かび上がってもくるのだ。
とはいえ、この句ほどつるべ落としの秋の夕暮れにふさわしい句はないのではないだろうか。芭蕉という人の句はけっして華麗な措辞は用いないが、誰の心にも落ちるような言葉をさりげなく並べられている。この句もその一つ。
ところで、ナディンの本の原題をあたってみた。原書名:NONE TO ACCOMPANY ME(みすず書房)――私と共に歩む者はなく、という意味であろうか。私の後を歩む者という表現でないことに好感をもった。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング