懐かしの杉津(すいず)
台風一過で空は何処までも青い。
秋天の続くかぎりや空の青 光丘登羊亭
関川夏央の新刊『汽車旅放浪記』をぼーっと読む。57頁に「なつかしい杉津駅」という見出しがあって、詩人の荒川洋治が北陸線旧杉津駅を懐かしんだ文章を引用している。思わず惹かれた。それを孫引きで記す。
《ぼくの鉄道の思い出は、旧北陸本線の杉津駅周辺の光景だ。列車は日本海沿いの山の上へ。そこで列車は、まるでお休みをとるように、海を見ながら、ぼうっと止まるような感じになるのだ。(中略)
杉津を通るこの路線は、北陸トンネル開通(1962)で姿を消した。子供のとき、この風景を知っていたことを、ぼくは今しあわせに思う。》(『忘れられる過去』)
この文章で思い出した。北陸トンネルが開通するまで、北陸線は敦賀湾を見下ろす山の腹をまくようにして走っていたのだ。
敦賀を過ぎて福井方面に向かうと、汽車は新保、杉津、大桐と海沿いを通って今庄へ出た。
今では敦賀を出て全長13・87キロの北陸トンネルを抜けると今庄である。つまり新しい北陸線から新保、杉津、大桐はパスされたのだ。杉津は今では廃駅である。
北陸トンネルは昭和37年に完成した。私が中学2年のときだ。日本一長いトンネルと言われた。
それまで福井へ行くときはいつも杉津を通った。荒川洋治ではないが、ここの風景を心に留めることが出来たことは本当にしあわせだった。当時は蒸気機関車の時代である。
新保を出ると汽車は山をあえぎあえぎ上がっていった。高台にある杉津の駅に着くと汽車は疲れをとるかのように長い休憩をとるのであった。
駅は杉津の集落から高く離れた山の上にある。汽車の線路から麓まで段々畑が続いて、その向こうに青く美しい敦賀湾が広がるのだ。たいてい対岸の敦賀半島はうすくもやっていた。
でも杉津駅の魅力はこれだけではない。駅の前後が楽しいのだ。雪避けの半トンネルがだらだらと続いていた。半トンネルというのは積雪を防止するための大きなひさしが付いた構造を私が勝手に呼んでいるのだが。ひさしがある区間は暗くなり、ない部分では外の景色が見えるのだ。つまり、汽車が走ると敦賀湾がトンネル越しに見えたり見えなかったりするのだ。ちらっと見える海がこよなく美しく、心に鮮やかに刻印された。
ただいま5時。日が翳ってきた。秋の陽は早い。雲が見る見るシルエットになってゆく。
2006年秋の夕暮れを見ながら、遠く杉津の青い海(それは1960年の)を思い出している。
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