いじめの後遺症
滝川市で昨年起きた、小学校6年生の女児の自殺に関する波紋が広がっている。
1年間にわたりこの女児が書いた遺書を握りつぶしてきた市の教育委員会が一転していじめがあったことを認定したのだ。
普通で考えてもいじめと分かるこの事態を、結局委員会は保身のため隠蔽しようと策動してきたが、女児の両親の必死の訴えで明るみにでたわけだ。
その二人の親の心中を思うとたまらない。二人は記者会見にも出ることができず、親戚の人が代行していたが、当然であろう。
女児の祭壇が映ったとき、遺骨が入った箱に十字の文様がついていた。この一家はクリスチャンであろうか。ひょっとすると、この女の子は幼い頃からイエスの教えを聞かされ、隣人を愛するようにしつけられたのかも。そういう博愛が通じない「獰猛な」級友らの中に放り込まれたのかも。とつい憶測してしまう。
遺書の文言もしっかりしていたし、文字もきちんと並んでいた。きっと優れた子であったろう。長いものに巻かれろといった生き方をしなかったことが、彼女を追い込んだのかもしれない。
それにしても担任は何を見ていたのか。きっと実態は知っていたにちがいない。あえてその先生は火中の栗を拾おうとしなかったのだ。担任だけでない。教務主任も学年主任も教頭も校長もだ。彼らは女児が自殺してからも1年間、ほうっかむりしてきたのだ。この無責任な構造。
今日のニュースで気になることがあった。女の子の同級生らは現在中学1年生になっている。その中学校で腹痛を訴える同級生が増えているという情報だ。
中学校では保護者会を開いて事態を説明し、生徒らの不安が広がらないよう対策を講じているというのだ。
変ではないか。おそらく体に異常を感じている大半の者はいじめに関わった子供らではないか。今頃になってことの重大さに気づき不安で体が異常を来たしたのではないか。いじめの後遺症だろう。
未成年だから保護される存在だから、そういう生徒の心の健康を守るために、学校側が対策を立てるというのは、教育という点から理解できないわけではないが感情として納得できない。
なぜ、いじめた人物らの命が守られて、いじめのうえに自殺した少女の名誉が守られてこなかったのか。――
結局、こういう事件は「2度と起こすまい」と女児の霊に誓ったとして落着し、収束していくのか。
他人の私ですらこれほどいじめた当事者、関係者に憤りを感じるのだ。親であればもっとその思いは深いと思われる。
だが、あの大河内君の父君はそのいじめた当事者らと語り合い、交流をもっている。その気高い思いが、私のようなものには分からない。父君はこの12年間人に言えない苦悩を重ねて、この境地に立っておられるのだろう。
腹痛という後遺症。それを病んでいる子供らは今どんな胸中にあるのだろう。
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