かきむしりたくなるかゆみに
かきむしりたくなるかゆみに、という言葉に特段意味はない。たまたま、卓上にあるメンターム、ペンソールSの効能書きの最初のフレーズだ。
そのパッケージから取り出して、語だけ並べると、ちょっとドキッとする。
言葉と映像。商売柄、いつも考えている。人は言葉で生きている、とある作家が言った。
なら、映像だって同じじゃないか。とごねたら、それは違うと言下に否定された。以来、くやしいから映像の有効性をなんとか示したいと策を練っている。
が、うまくいったためしがない。
今日、絵本作家長新太の「ごろごろ にゃーん」を見た、読んだ。最初と最後のページ以外、すべてのコメントは「ごろごろ にゃーん」
絵にきちんとした意味があるとは思えず、コメントも意味不明。でも、何ページも続くと、脳裏に不思議な効果が起きる。
たまたま撮影した画像に、机周りの言葉を拾い集めて、あててみたらどうなるかな。
就職活動に勤しむスーツの男性。渋谷のスクランブルを小走りに。
コメント:「ごろごろ にゃーん」
センター街、修学旅行の中学生、男女合わせて6人。ABCマートの前で途方にくれている。
コメント:「かきむしりたくなるかゆみに」
御茶ノ水駅のホーム、キオスクの新聞の腰巻「亀田、逃げる!」
コメント:「もうひとつの結末がここに・・・」
なんてことをやってみたが。
別にたいしたことはない、と思ってみたり。
話は違うが、私は映像を撮影するより、編集するほうが好きだ。
撮影中は、すごく恥ずかしくて早く終わりたいという気になる。
編集は、いつまでもだらだらと、あーでもない、こーでもない、とつなぎなおすのが、好きだ。
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