愛する人の死②
戦前から戦後にかけて活躍した演劇人に、加藤道夫がいる。1942年、慶応大在学中に新演劇研究会をつくる。ジャン・ジルドゥと折口信夫に傾倒した。
そして1944年、26歳のとき、召集されて陸軍通訳官として南方へ送られる。戦争末期にはニューギニアの小さな集落に留まり飢えとマラリアに侵され、死線をさまよいながら生き抜いた。
彼は出征する前に、一篇の戯曲を愛する女のために書き残した。女は女優で滝浪治子といった。彼女を思って書いた「なよたけ」という題のシナリオだ。「竹取物語」から想をとったその作品は青春の遺書ともいうべき長編戯曲で、今では古典となるほど高い評価を受けている。
文麻呂 さうだ。世間の者からは見棄てられてしまったって、俺にはなよたけがついてゐ
る。清原や小野に裏切られてしまったって、俺にはなよたけがついてゐる。
…なよたけ!お前だけは僕を見棄てはしないだらうね!なよたけ!お前は僕のも
のだ!お前だけは僕のものだ!なよたけ!なよたけ!!
なよたけと何度も呼びかける女に、加藤は治子を仮託している。こういう声を加藤道夫は治子のために残していったのである。必ず帰ってくると誓っていたのだ。
戦後、無事復員した彼は治子と結婚する。得意であったフランス語を駆使して次ぎ次に新しい戯曲を翻訳し、目覚しい活躍をはたす。1950年にはサルトルの「蝿」、翌51年にはカミュの「カリギュラ」と、実存主義の流行もあって加藤は時代の子となる。そして愛する妻はいつも傍らにいるのであった。
――ところが加藤道夫は突然死ぬ。1953年、自宅で加藤道夫が縊死しているのを、妻治子が見つけた。
加藤治子――「寺内貫太郎一家」では貫太郎の優しい妻を演じて、茶の間のファンから絶大な支持を得た人気女優である。名作「阿修羅のごとく」では四人姉妹の長女を演じた。お茶の先生を営むもの静かな未亡人だが、裏面では熱い不倫を生きるという複雑な性格を見事に演じきり、向田ドラマには欠かせない名優となる。その穏やかでもの静かに見える彼女が、夫の自死という苛烈な体験をしていたのだ。
向田邦子と加藤治子は出会って親友になるまでにそう時間はかからなかったと思われる。向田が飛行機事故で死んだ後、加藤は向田について多くを語っていないが、おそらく向田のいろいろなことを知っていたと思われる。二人は共通の悲しみをもっており、その体験を軸に二人の絆は強まっていたと私は推測するのだ。
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