定年再出発 |
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愛する人の死①
5年前、向田邦子の恋文を読み解く番組を制作したことがある。 その当時、彼女の若き日の恋についてはまだ知られていなかったのだ。私たちが最初に発見したことになる。それは、茶封筒に入った遺品から解き明かされた。 彼女が台湾で事故死したとき、最後に居住していたマンションの台所の納戸から茶封筒が発見されてはいた。だが、そこに入っていたものがどういう意味をもつのか、二人の妹たちも関心をもたないまま10年近く保管されていた。その存在を私のチームは掴み、その意味を解き明かしたのだ。そこに入っていたのは、向田から愛人Nへの恋文であり、Nの最期の日記であった。 向田の愛人Nは10歳以上年の離れた、理由(わけ)ありの人だった。そして二人は中断をはさんで8年におよぶ交際を続けたが、昭和39年ある事情からその人は自ら命を絶った。 向田に深い心の傷を残したことは言うまでもない。彼女は口外しなかった。いっさいを胸に秘めた。 彼女が有名になる前の出来事だったから、ほとんどの人はこの恋については知らない。まして、自殺した彼を最初に発見したのが向田であったという事情など誰も聞かされてはいまい。 Nの死は唐突だった。 39年2月18日の夜、就寝前いつもの通りNは日記を付けた。その日使った費用、「新聞¥71,支那まん¥100,『古語辞典』¥380」の記事が残っている。夕方から白いものがちらついていたが、東京は夜になって本格的な雪となった。車の音も春の雪に吸収されてゆく。オリンピックのための道路工事は9時過ぎまで続いたが、やがて止む。この頃、まだ東京も暗かった。大きなビルもなく庇の低い家が並ぶ高円寺の街は春の雪の中に沈んでいた。―― 明けて19日、淡雪となって昼には消えた。邦子がN宅を訪れたのは、夕方だった。 合い鍵を持っていた邦子は戸を開けようと玄関に立ったとき、異様な臭いをかいだ。あわてて入るとNは布団から足をはみ出して寝ていた。近づくと息が絶えていた。 戸や窓にはテープで目張りがしてあって、ガス栓が開いていた。邦子は片手でガスをはらいのけながら急いで栓を閉め、テープを剥がそうとした。バカ丁寧に張り付けられていて、なかなか剥がれない。気が急いて爪を立てると割れて血がにじんだ。かまわずがりがりやると、手の甲が朱に染まった。窓を開け放ち、雨戸を繰った。 ――以上のことを、邦子はさる友人に語っている。この通りだったか、誇張されているか分からないが、Nは急死し、邦子が発見したということは事実である。 それから後のことは、妹の和子が記憶していた。荻窪の自宅に戻ってきたのは、夜11時を回っていた。この日あったことを家族に告げることもできず、青い顔をして二階の自分の部屋に入って行く。父も母も妹の和子も異変を感じ取ったが、聞くのがはばかられた。 この夜のことは、和子の胸につよく残っている。 「夜中にトイレに行こうかなと思って、ふすまを開けようとしたら姉の姿が目にはいりました。あんな姿って見たことなかったんですよ。何かペターンと座って。畳の上にベッドがあるのですが、畳にペターンと座っていた。」 整理ダンスの引き出しが開いており、そこに手を入れたまま邦子は放心状態で座りこんでいたのだ。 「私、今まで姉の泣いている姿って見たことがない。だから本当に驚いちゃって――。 でもね、声をかけるというのは、まだその人に余裕があったり隙があったりするから出来ると、私思うのです。 あまりにも憔悴しきっているような状態を見てしまって、声をかけるとか、見てはいけないとかということよりも、そっとしておいてあげたいと思うのが精一杯でした。 今思うと、彼が亡くなったときだとおもいます。」 このとき、和子ですらNの存在については知らない。私たちが取材を進めていく中で、昭和39年2月の記憶を確かめていったとき、和子ははたとこの事実を思い出したのである。 向田はこの悲しみから立ち上がるのに、おそらく数年を要したと思われる。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2006-09-30 20:26
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