北の都に秋たけて
四高(現金沢大学)寮歌「北の都に秋たけて」をかつてよく歌ったものだ。
♪北の都に秋たけて 我ら二十歳(はたち)の夢数う
男女(おのこ・おみな)の住む国に 二八(にはち)に還る術もなし
この歌を放吟していた1968年、パリで五月革命が起きた。ソルボンヌ大学が閉鎖され、学生たちがカルチェラタンに解放区を作ろうとしたのだ。
解放区――なんと、みずみずしい響きだったことか。
ベトナム戦争が泥沼化していて、アメリカでも反戦運動が高まりを見せ始めていた。バークレーでもシットインが行われていた。
中国では紅衛兵が「造反有理」を叫んでいた。
日本でも、王子の野戦病院阻止闘争が行われ、ベトナム戦争反対の機運が高まっていた。全国の大学で反体制の狼煙が次ぎ次に上がりつつあった。
古都金沢で私は、胎動する世界のスチューデントパワーをうすうす感じながらも、依然「北の都に秋たけて」を放吟していた。
今から振り返ると、団塊の世代の学園闘争はプチブル左翼の運動でしかなかったと断罪されるのだが、世界史の大きなうねりの中で我々は活動しているのだという、熱い高揚感がたしかにあったと言い張りたい気がする。
政治の季節が終り、経済成長の時代が来ると、団塊世代は“厚かましく”もその路線にちゃっかり乗った。と批判される。たしかにその面はあったであろう。
だが、それほど無節操に「河」を渡ったわけではない。権力によって追い詰められた運動は「連赤事件」や内ゲバという暗黒面に突入し、それによって急速に内側から瓦解していったのだ。
話はずれるが、昨夜映画「突入せよ!・あさま山荘事件」を見た。大伴昌司の映画製作にあたり誰に監督を依頼するかという、選定の参考に原田眞人監督作品を見ることとなったのだ。私はその映画を最後まで見ることができなかった。あまりに警察権力が善意で描かれていることに苛立ちを押さえることができなかった。
団塊世代が定年を迎えて「病む」ことがおおいというのは、この分裂した思いからであろうか。ベイトソンの「ダブルバインド(二重拘束)」の理論を想起する。
メッセージとメタメッセージの間に論理的な矛盾が内在すると、人間は行動不能になるという、分裂病を説明した原理だ。反体制を標榜しながら体制の安逸を求めたという分裂が、定年という節目に至って露呈しているのだろうか。
私自身にかぎって言えば、半年前の厭世気分からやや脱してたとはいえ、まだ眼前に紗幕がかかったような気分が続いている。かつて感じた「生命燃ゆ」という感動がほとんどない。まさに、我ら二十歳の夢数う、である。そして二八に還る術もなしと嘆くしかない。
蛇足ながら二八とは、八と八。つまり十六を意味する。十六歳に還る方法が見当たらないということだ。
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