はせおの愛人
朝の寒気で身が引き締まる。この厳しさは鷹に通じると思う。加えて、三河では渡りの鷹が現れる10月を尊ぶ。
鷹ひとつ見つけてうれし伊良湖崎
芭蕉の秋の句である。この句は意味深だ。この句を詠んだのは三河の国保美(<ほび>渥美半島南端の渥美町)。そこに弟子の杜国が住んでいた。
杜国――本名坪井庄兵衛。杜国は名古屋御薗町の富裕な米穀商であったが、倉に実物がないのにいかにも有るように見せかけて米を売買する空米売買の詐欺罪(延べ取引きといった)に問われ、貞亨2年8月19日領国追放の身となる。保美の里で流人生活を送ることになる。豪商から罪人へ、すさまじい人生を生きた人だ。
一方、彼は発句をよくし、名古屋の蕉門の有力者でもある。芭蕉は特に目を掛けた門人の一人で、(真偽のほどは疑わしいが師弟間に男色説がある)と言われる。名古屋に於ける「冬の日」で歌仙が巻かれたときに参加している。この頭の“良さ”が同じ尾張の商人たちの嫉妬をかって、空米取引のことを讒言されたのではないだろうか。男の嫉妬は性質が悪い。
芭蕉と杜国の関係は疑われるというより、あからさまなものであったのではないか。
というのは、罪を咎められて流罪になっている杜国を、芭蕉はわざわざ訪ねているのだ。弟子の越人を連れてとはいえ大胆だ。見つかれば芭蕉とて連座の危険が及ぶこと承知なのだ。
そして鄙びた漁村にわび住まいする杜国を捜し当てた芭蕉は次のように記し、句を詠む。
杜国が不幸を伊良古崎にたづねて、鷹のこゑを折ふし聞て、
夢よりも現の鷹ぞ頼母しき
夢にまで見ていた杜国と会えたということを、現(うつつ)の鷹と手放しで喜ぶ芭蕉。翌日杜国の案内で芭蕉らは、伊良湖崎に吟行(ぎんこう)の杖(つえ)をはこんだ。名句「鷹(たか)ひとつ見つけてうれし伊良湖崎」は、このとき詠まれたものである。もはや、鷹は誰を指すかは言わずもがなである。
1688年(貞亨五年)2月、杜国は伊勢に芭蕉を訪ね、ともに旅寝をしたいと吉野の花見への同行を申し入れる。本来ならば罪人は流刑地から離れてはいけないのを、あえてご法度を破って、芭蕉と旅をしたいと杜国は申し出てきたのだ。しかも、旅のあいだ自分は万菊丸と童児名を名乗るという。ますます妖しい。男同士二人の旅に風雅を添えたいという杜国の趣向に、「まことにわらべらしき名のさま、いと興あり」と芭蕉も喜んだ。
高野山では、二人でこんな句を詠み会っている。
ちゝはゝのしきりにこひし雉の声 芭蕉
ちる花にたぶさはづかし奥の院 万菊丸
この旅は二人の心に深く残った、と思われる。その後の杜国の消息ははっきりしないが数年後34歳の若さで死んでいる。何か変だ。死が早すぎる。貧窮で追い詰められたとか病を養ったとか諸説あるが、はたしてそうか。自然死だろうか。何かドラマを感じるのだが。
この悲報を京都嵯峨野の去来の庵で聞いた芭蕉は、大粒の涙を落としたと言われる。
嵐山光三郎の「悪党芭蕉」ではないが、芭蕉(はせお)翁、なかなかの狸ではないだろうか。
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