萬治
永倉萬治の『これでおしまい』を読んだ。彼の最後の短編集だと、あとがきで妻の有子が書いている。
彼が死んだのは2000年。52歳で死んだのだ。あんなに、あの頃軽快に書いていて、話題を振り撒いていた萬治も今ではほとんど忘れられたようになっている。
彼と私は同年生まれだ。おまけに脳出血を発症したところまで同じだ。彼は1989年、41歳で倒れ90年に復帰した。右半身麻痺に加え作家にとって致命的な失語症となるも懸命にリハビリを続けて執筆活動を再開できるところまで快復させたのだ。
他人事のように見ていた私も、1995年、47歳のとき脳出血で死にかけると、萬治
の生き方やリハビリの仕方が気になるようになった。それまで読まなかった彼の小説やエッセーも広く読むようになる。
彼は立教大学を中退して、東京キッドブラザースに参加した。そして「黄金バット」などを海外公演までぶち上げた挙句、キッド解散後放送作家となって、文才を磨いていった。
といってもすぐにその道にはいったのでなく、ちり紙交換のバイトや飲み屋の親父などを転々としながら、自分の道を切り開いていったのだ。そういう彼の体験を経ながら、描く世界は都会的なセンチメンタルだった。スマートで格好いいものだった。
『これでおしまい』の中の「セロリ」という短編に出てくる主人公は2浪までしたが大学をあきらめたフリーター。友人の淺川は2年で中退してやっぱりフリーターなのだ。
だが今どきの引きこもり気味の若者と違ってガッツがあるのだ。淺川がつぶやく。「俺さ、本当に、働きたくないんだ。気にいらねえ奴のいうこと聞いてさ、へーこらしてさ。ガソリンスタンドなんて、燃えちまえばいいんだ。パーッとさ。火、つけたら気持ちいいだろうな。あああ、うんざりだよ。どこかさ、仕事なんかしねえで、楽しく暮らせる島かなんかねえかな」
このセリフに私は共感してしまう。
永倉の作品に出てくる主人公たちというのは、多少辛いことがあってもクヨクヨするのだが、最後は「ま、いいか」と納得してしまうような能天気なものが多い。妻有子によればまさに萬治の分身だそうだ。
萬治の最期がよかった。
健康を快復した彼は、合気道をやって体を鍛えるようになった。元々、立教時代レスリングをやっていたというだけにガタイも大きく強かった人だ。執筆も順調で原稿依頼も増えていた。人気作家になっていた。ある雑誌で健康の秘訣の特集が編まれ、彼はその取材に応じた。道場でそのパフォーマンスを見せている最中、脳幹出血で倒れたのだ。
彼が2000年10月に死んだとき、私はまさかと思った。だってリハビリは順調だしまだ52歳だしと。でも、死んだ経緯を聞いて、おもわず笑った。いかにも萬治らしいと思った。
萬治は最初万治と名乗っていたが、98年ごろに改名したそうだ。どうしてだ。万治のほうが格好いいのに。
伊丹万作は萬作と書かれると怒ったそうだ。そのことを、永倉に教えてやりたかったな。
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