光溢れる日に
秋晴れとなった。光が溢れてまぶしい。1週間ぶりにツヴァイクの道を降りた。
森には光のシャワーがあちこちにこぼれる。
道端にはカラスが食い散らかした柿の実が転がっている。桜の葉も一部黄色が混じり始めた。山は最後の夏を見せている。9月20日。彼岸花はまだ姿がない。
麓まで来ると、正面に江ノ島が浮かんだ。大気が澄んできて、遠望できるようになったのだ。思わずデジカメで写す。このカメラのいいところは、すぐ再生して画像を見られることだ。実物の江ノ島と見比べる。
画像の江ノ島は2回りほど小さい。なぜだろう。
夕月を撮ったときも、画像が小さく見えた。明度のコントラストが強いゆえに起こる錯覚かと、そのとき考えた。
でも江ノ島風景は全面同じ明度だ。江ノ島だけが周りから際立っているわけではないのに、江ノ島の画像は小さい。
人間の目(つまり肉眼)はカメラのレンズより中心の被写体に対して大きく捕えるという、特性をもつのではないか。見ようという意識がこもった対象は「見え方」が拡大するのではないか。気持ちで大きく見えるということでなく、実際に網膜に像は大きく焼き付くと思われる。
だから目の錯覚というより、人間の脳のくせというべきではないだろうか――。
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