

逆ディレクターズカット
昨夜、敦賀の実家にたどり着いたのが9時過ぎ。玄関を開けると、聞き覚えのある音楽とナレーションが流れていた。あれだなと気がついた私はすぐ茶の間にあるテレビの前に座った。
お風呂が沸いていると母はせかすが、「これを見てから」と生返事。
オンエアーされていたのは、先日ブログに書いた「あの夏、60年目の恋文」である。私が見たのはハイビジョン放送で90分のサイズであったが、総合テレビで放送されるのは30分ほど短縮したものに変わっているはずだ。どう処理されたかが気になっていた。心配もしていた。
「あの夏」は最近になく長時間の“尺”(長さ)が成功していた番組だった。話の起伏があり、物語を3人の人物から語っていたから、これを短くするのは至難だと危ぶんでいた。
案の定というか、最初見たときの感動がなかった。話の流れの紹介で終わった。少年の日の官能性は薄くなっていた。無念であった。
最近、私はこの番組は面白いと「吹聴」して回っていただけに、失望を隠せない。
たしかに、総合テレビのプライムタイムに放送されることは意味あるのだが、そこでは90分というサイズは無理だ。短くするしかないというのも分からないではないが、はたして作品自身はどう思うか。見る人が少ない深夜帯でも、長い尺で見せてほしいと願ったのではないだろうか。
映画ではプログラムに合わせて短くされたバージョンとは別に、監督が自分で満足できるまで長さを伸ばしたバージョンをディレクターズカットという。これは、だいたい作者の思い入れがつよくて、観客から見てやりすぎという気分が残るものが多い。だが、「あの夏」はむしろ長いほうがよかったと悔やまれてならない。
朝、起きて、裏庭をながめると、秋の草が生い茂っていた。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング