キタキツネの噛む日
集中講義の本講義最後の日。映像ということについて考古学的な話を中心に語った。
クラスにはイスラエル、ペルー、中国、台湾からの留学生がいる。彼らの知恵も借りて授業を行った。
映像というか、実存在と違う存在としての「姿」を、最初に語ったのはプラトンではないか。彼の、洞窟に映った影という、考えがその嚆矢といわれる。洞窟で火を焚くとその炎に照らされて洞窟の岩壁に人影が映しだされる。それを「映像」と見立てたという話をどこかで聞いたが、おそらく人類が「影」としての映像を意識したのはそういうことから始まるのではないか。起源というのはなんでもそうだが、諸説紛々だ。
ルネサンスの頃、暗い部屋に小さな穴から光がこぼれると、そこには映像がさかさまに映るということは知られていた。カメラの語源のはじまりだ。
そこで映った映像を乾板に定着させたことから写真は始まる。その写真の映像は、日本では画像、または静止画像という。英語では何と言うかと留学生に問うと、「PICTURE」という答え。では写真を撮影するは何と言うか。「Take a picture」。なるほど。
やがて、動く画像が出てきた。いわゆる映画の画像だ。英語ではmotion picture。
日本語では映像、動画だ。
面白いのは台湾の言葉だ。写真の画面は照片。写真を撮るのは照相と表現する。
この動画をとらえる作業は、日本語では撮影。静止画つまり写真をとらえるのも撮影で、双方に区別はない。だが英語では写真撮影はTake a picture、動画撮影はshootingもしくはfilmingと区別される。これはヘブライ語でもそうだそうだ。
面白いなあ。授業をやりながら、学生諸君から教えてもらって、考えが膨らんでゆく。
16時に授業が終わって、学生3人といっしょにルネでお茶を飲んだ。それぞれの進路についていろいろ聞いた。楽しかった。
夕方、主任教授のS先生と、いっしょに北野天満宮そばの上七軒へ行く。ここは京都でももっとも格式の高いお茶屋街。以前、先生に美味しいてんぷらの店に連れてきてもらった。今回は京都おばんざい料理の老舗紅梅庵へ行った。はもが美味だった。
ホテルにもどると京都放送局に赴任しているN君から連絡が入り、新京極あたりで待ち合わせて飲むことにした。デスクのU君もいっしょだった。
今年、入局したばかりのN君は半年以上経ってずいぶんしっかりしてきた。さすが、実社会の荒波にもたれたのだろう。やはり、よそ様の飯を食べたほうがいい。可愛い子には旅をさせろ。
娘が夕方の飛行機で香港経由でパリに向かった。成田の歓送ゲートから家人が見送っていると、エスカレーターを再び上がってきて娘は一生懸命手を振っていたそうだ。涙をいっぱい浮かべて。
ほんとに困ったものだ。二十歳の女がまだこんなテイタラクでは。
こういう子別れのとき、キタキツネは子キツネを噛むそうだ。帰ってきてはいけない。ここはもうお前の居場所はないのだと、教えてやるためにも。
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