ああ勘違い・錯誤・癖
昨夜、ジュンク堂で書名を勘違いしてしまった。
これって一時の錯誤で、その後は大丈夫かと言うとそうでもない。どうやら私自身の脳のくせというか無意識の傾向があるようだ。
パソコンのキイをたたくときいつも迷うのが、コミュニケーション。コミニュケーションと書きたくなる。シミュレーションもシュミレーションかどうかいつも迷う。書いてしまって違うと気づくことがたびたびだ。最近はパソコンで誤記するとアンダーラインが出るので、やってしまった後気がつくこともたびたびだ。
人名は今でもはっきりしない。ボードレールかポードレールか。スダンタールかスタンダールか。マルクス・アウレリウス・アントニウスなのかマルクス・アレリウス・アントニウスなのか。
表記ではなく、概念が何度覚えてもいつも迷うものがある。ゲゼルシャフトとゲマインシャフト。シニフィアンとシニフィエなどがそうだ。原語が分かっていれば馬鹿みたいなことかもしれないが、カタカナ外国語でしか理解できない私としては、なかなか頭に入ってこない。ということは、
外国人から見ると、TOKYOとKYOTOも錯誤しやすいのかなあ。
単語的な勘違いでないものも多々ある。左岸、右岸というのが、川上に向かって言うのか川下に向かって言うのかすぐ失念する。今日から娘は1年パリへ行く。セーヌ河左岸・右岸というのがきちんと区別ができるかな。私の遺伝子はそれを難しいと感じるのではないだろうか。
風の名称も迷う。東風というのは東から吹く風なのか、西から東に向かって吹く風なのか。
幼い頃、私は左ききだった。祖母がそれではいけないとずいぶん矯正したと聞く。左の手で箸をもたないように、食事時は左手を包帯で巻いたのだ。それが影響したのか、小学校の3年、4年になっても、向かって右、向かって左というのがすぐに理解できなくてまごまごした。
錯誤ではなく癖というものもある。人の顔の似顔絵を書くとき、左向きの顔のほうが右向きより書きやすい。映像の編集をするときも、シーンの最初のカットは画面右(上手側)が中心の構図の画をすぐ使いたくなる。
癖ではなくゲンをかつぐときの傾向もある。階段のステップは絶対に右足から上がりたい。そうでないときは戻ってでもやり直す。これがうまくいかないと、何となく気分が悪い。
と、朝のホテルのベッドで考えていたら、ずいぶん可笑しな癖を持つ人間だということに突き当たった。他の人はどうなのだろう。同じようなことがあるのか、それともこれって私だけ?。(代田光の真似)
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング