祖父の戦場を知る
今夜のETV特集は、「祖父の戦場を知る」という主題であった。
制作したディレクターは私の元の同僚で、かつて広島にて被爆者の番組を共に作った仲間でもある。これまでも日本の戦争、その責任について誠実に見つめてきた人ゆえ、今夜の番組も期待をもって見た。
思ったとおり、地味だが静かに見る者を問うてくる深い番組であった。
大阪の出版社が10年以上にわたって編んできた「孫に語る戦場体験」の文集に寄せられた4つのケースを紹介している。
これまでテレビは長く戦争体験を紹介してきたが、それはほとんど内地の被害体験であった。広島、長崎の被爆であったり、東京、大阪、名古屋などの都市空襲であったり、沖縄戦の戦闘であったり、または疎開であったり徴用であったり、特攻であったりした。
戦争が終わって50年経った頃から状況が大きく変わってきた。冷戦構造がなくなり、日本の戦争の加害性、侵略性を見つめることをそらしていたものが失せた。国際化が進み、かつての被害国の声が私たちの耳に届くことが多くなっていった。
加藤典洋が『敗戦後論』で、アジアの犠牲者を悼む前に日本の戦没者を悼むのが順番ではないだろうかと説いたが、情勢は待ってはくれなかった。アジアの声が次第に大きく響き始めた。と同時に、日本の中からも加害者としての苦しみの声が少しずつ漏れてきたのだ。
こういうことを言う人がいる。私たちはアジアに対してこれまで何度も謝ってきた。どれだけ謝ればすむのだろうかと。
果たして、それは謝ったことになるのだろうか。今夜、登場した戦場で加害体験をもつ人たちはこれまでその行為について語ることもできなかったし、きちんと謝ることもできないまま生きてきた。それゆえ苦悩は深いのだ。
子供同士で喧嘩して相手を泣かした子供がいるとする。親に連れられて謝りに行った。子供はきちんとごめんなさいを言うつもりでいたが、親はその口を押さえて、親が代わりにぼそぼそと小さな声で謝るという構図に似ていないだろうか。謝ったと言っても、それは形だけ謝ったと言われてもしかたがないことではないだろうか。
私は1989年に、「世界はヒロシマを覚えているか」という取材で韓国へ大江さんと行ったことを思い出す。韓国の詩人金芝河さんと大江さんは対談した。ヒロシマということをあなたはどう考えるかと、大江さんが聞いたときである。金氏はこう答えた。
「タイトルが『世界はヒロシマを覚えているか』というのは間違いだ、と私は思います。むしろ問題の基本的な性格から考えて、「世界は南京虐殺30万を覚えているか」、「戦争の犠牲になった百万のアジア人を記憶しているか」、「挺身隊、強制連行された人びとを記憶しているか」、「原爆被害者を記憶しているか」と聞くべきです。
世界に対して、ヒロシマを覚えているか、と訴える前に、日本自身の道徳的な清算、歴史的な清算を行う、という日本人の運動が必要だと思います。」
この言葉を受け止めたときの大江さんの苦悩の顔が忘れられない。今夜の番組に登場した“祖父”たちの何人かも同様の苦しみをかかえて長く生きてきたのだった。
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