久しぶりの出会い
遅い昼食を、一人でとった。東急本店の8階揚州飯店で、焼きそばを食っていたら、目の前に懐かしい人が立った。思わず声をかけた。
美術評論家の木島俊介さんだ。25年ぶりの再会となる。若い頃、ピカソの「ゲルニカ」のスペイン返還のドキュメンタリーを私は制作したが、その頃お世話になった人だ。当時と、スタイルはまったく変わらず、ベージュのお洒落なスーツをまとっていた。聞けば、まもなく古希をむかえられるとか、まったく見えない。ダンディで颯爽としている。
久闊を叙して名刺を交換すると、2つの美術館の館長でかつ、以前のまま共立女子大の教授、そして東急文化村のプロデューサーを務めておられた。何と、元気なことよ。
私のテーブルに座って、私と同じ五目やきそばを先生は食べる。たしかグルメだったが、焼きそばの酢をかけて食べるのは私と同じ嗜好だ。酒量はどうですかと訊ねると、この一月禁酒をしているという。呑みすぎで肝臓の数値があがったのだ。
木島さんは日本でも有数のピカソの研究者だ。「ゲルニカ」についてもずいぶんいろいろなことを教えていただいた。今回も、文化村でピカソの関わる展覧会をプロデュースしている。
「ピカソとモディリアーニの時代」、北フランス、リール近代美術館蔵の名品が文化村に並ぶのだ。
先生はかつてカントリーの名手としてならした。その昔はウェスターンと呼ばれた「カウボーイの音楽」だ。寺本圭一なんかとセッションしたという華やかさが今もある。帰りがけ、今夜展覧会のレセプションが開かれるから良かったらおいでよと、声をかけていただいた。
ピカソを追っていた時代。今から26年も前になる。すぐ年月日を思い出すのは、ちょうどそのとき息子が妻のおなかにいたから。その年も今年と同じ、いや今年以上に寒い夏だった。9月の半ば、スペインのマラガにいた。ピカソの生まれた町だ。ジブラルタル海峡が間近の南の国だった。その海で、その年初めて泳いだ。
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