新しいものがないじゃないか
夏に放送した「ぼくはヒロシマを知らなかった」について、気持ちの整理が出来たので書くことにしよう。
この番組は22歳の若者田中圭くんが広島、平和記念公園を訪ねて、そこにある碑の由来や公園が建設されるまでの過程を知ってゆくスタイルをとった。
この企画を立てたときから、新しいことを目指すのでなく、これまで語られてきたことを、平和公園という大きな枠にくくることで見えてくるものを把握したいと考えていた。
ところが、作り終えて試写したとき、この番組に対して痛烈な批判があった。内容が薄く、何も新しいものがないじゃないか、とその人物は口走ったそうだ。
そうだというのは、あいにくその試写に私は出席できなかった。ちょうど、「黒木和雄の世界」のナレーション録音とスケジュールが重なったのだ。
それを聞いた担当のディレクターは口惜しがった。番組のどこが薄いのか弱いのか、きちんと説明してもらいたいと食い下がったが、印象でそういうことを感じたという弁で、その人物は席を立った。
制作した私らとしては、被爆に関する新事実を発見するつもりは毛頭なかった。たしかに原爆碑の物語は個別にはこれまで語られたこともあっただろう。だが、それを平和公園の中に配置されているとしてトータルに俯瞰されたことがないから、それをやってみようという試みだった。修学旅行生でも歩き回れる範囲で、碑を順に見てゆくことで、若者に被爆の実相というものを知ってもらいたいと願ったのだ。
そして、平和公園がどうやって造られていったかを知れば、若者にとっても理解しやすいだろう、とこの番組を作ったのだ。
原爆慰霊碑は見るものでなく、心で見るものだということを訴えたかったのだ。
それを、新しいものがないじゃないかと、一刀両断する精神。明らかに、番組をステレオタイプ化している。なにより理解が浅い。
放送したところ、内外から評価していただいた。けっして派手ではないが、大切なことをきちんと伝えている、田中圭がヒロシマに触れてどんどん変わってゆくことが分かったと、制作者のメッセージを視聴者は受け取ってくれたのだ。
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