冷たい戦争の時代の終わりに①
昭和が遠のくにつれ、若い人たちの間にも「冷戦」という歴史的出来事の実感が薄れてきている。ソ連という国があったことすら知らないという若者もいるほどだ。
1945年、第2次大戦が終わろうとする頃、米・英・ソの3首脳がクリミヤ半島のヤルタに集まった。戦後の体制について話し合った。そこでドイツの分割占領のほか、ソ連の対日参戦と千島・樺太の領有などを決定したのである。この会談は後にソビエト連邦を盟主とする共産主義(社会主義)陣営とアメリカ合衆国を盟主とする資本主義陣営という二陣営に分かれて対立する出発点となる。冷たい戦争(Cold War)のはじまりだ。この戦いは1945年から1989年まで続き、直接武力衝突する戦争を伴わなかったため、直接衝突による「熱い」戦争に対して、「冷たい戦争」と呼ばれた
1947年2月、トルーマン米大統領は、自由主義を守るためにギリシャ、トルコに対して経済的・軍事的援助をすることを議会に要請した。これがトルーマン・ドクトリンと呼ばれるもので、共産主義に対する「封じ込め政策」の最初のものとなる。
1949年にはNATOが結成され、東西対立はますます激しさを増していった。 一方、東側陣営もコミンフォルムを結成し(1947年)、イタリアやフランスなども含めた各国共産党の組織的な系列化をはかった。さらに1955年にはワルシャワ条約機構を結成した。こうして、両陣営の争いは厳しさを増すが、全面戦争とはならず朝鮮戦争やベトナム戦争という代理戦争が続く。だが、核戦争の危機が目前に迫るようなことも一再ならずあった。
長く続いた冷戦も、1989年12月に終わりをむかえる。ブッシュ米大統領とゴルバチョフソ連 最高会議議長は地中海のマルタ島で会談し、第2次大戦後40数年間続いた冷い戦争の終結を宣言した。
その冷戦の終わりのことである。私は大江健三郎さんと共に東西世界を歩くことになる。当時世界には5万発の核兵器があった。チェルノブイリの核事故も起きていた。混乱するソ連を見ていると、こういう時期こそ核兵器の誤爆が起こるかもしれないと、大江さんは懸念を抱いた。危機はすぐそこにあった。
核戦争を回避するうえでも、世界はヒロシマの体験や声を覚えているだろうか、検証する旅に出ることを大江さんは決めた。1987年、冷戦終結の2年前である。
その番組のタイトルは「世界はヒロシマを覚えているか」。
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