エッシャーの宇宙
30年前に、子供空想美術館という番組を作ったことがある。目の錯覚を利用しただまし絵やオプチカルアートを集めて、中山公男さんの案内で仕立てた番組で、今考えるとずいぶん手の込んだ子供番組だったなと思う。
その中に、オランダの異端の版画家エッシャーの絵があった。見ているうちに眩暈を起しそうになる不思議な絵である。
70年代、エッシャーはずいぶん若者の心をとらえた。なんと言っても日本で最初にメジャーな雑誌に載ったのはあの「少年マガジン」だったのだから。後に、エッシャーのコレクションを日本人が所有することになるなど、エッシャーと日本の結びつきは意外に深い。
『エッシャーがぼくらの夢だった』という本がある。日本人とエッシャーの関係を描いた本である。そこに大伴昌司が登場する。
大伴はSF作家クラブの会員でもありイラストレーターでもある真鍋博とは懇意にしていた。ときどき、事務所へ打ち合わせ兼ねて遊びに行った。そんなある日、真鍋から大伴は一冊の画集を見せられる。エッシャーである。彼はこの絵に一瞬にして捉えられた。興奮した。すぐにマガジンの巻頭図解で紹介しようと思い立つ。
そうして1968年8月から数回にわたり、エッシャーの絵は「不思議な絵」という形で紹介されることになる。
まさに大伴好みの絵であったと、内田は証言する。「大伴さんはエッシャーが大好きだった。マグリットも紹介したけど、大伴さんの好みはエッシャーだよ。だまし絵、からくり、不思議、裏、逆、夜と言う概念のもの、普通の人とは反対に考える人だった。」
大伴も惹かれたエッシャー。その一つの様式に「図地反転」がある。敷石や壁紙を見ているとそういう現象が起こる。昔から人びとは気づいてはいた。
平面上に一本の線を引く。すると二つの図形が出来る。だが境界線はどちらの図に属するのだろうか。一つと決めると、そうでないほうが自分のものだと主張するように、じりじりと浮上する。両者でせめぎあいが起こるのだ。一方から他方へのたえまない相互交換性。
この典型が「空間と水域」だ。黒い鳥が群れとなり、その群れの間の空白がやがて形をなしてきて白い魚となってゆく、という作品だ。まことに不思議な絵だ。大伴はこの絵は「読む絵」だと語ったそうだ。
絵という2次元の世界に立体という3次元を描く陥穽を利用した作品もある。永遠に流れ続ける水。上がっているように見えて下がって行く階段。さらにあがって行くので無限運動を繰り返す階段。精緻で幾何学文様の絵は、実はエッシャーが青年時代スペインのアラブ文化に触発されたいう。
こういう絵に出会って夢中になる大伴とは、「永遠の子供」そのものではないか。
いずれ、彼がこだわった不思議な世界、なかでもマグリットについても考えてみよう。
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