death in life (生きていながら死んでいる)
18年前になるだろうか。ニューヨークに住む世界的な心理学者ロバート・J・リフトンと会ったことがある。
リフトン博士は、戦後17年目に来日して、ヒロシマのたくさんのヒバクシャから聞き取り調査を行った。それをまとめたものが『死のうちの生命』。原題はdeath in life。そのまま訳すと生命の中の死、生きていながら死んでいるという意味になる。これでは、ヒバクシャの存在が後ろ向きに思われると、日本側が配慮して「死のうちの生命」と題して、日本では出版されたのだ。
しかし、ヒロシマ、ナガサキのヒバクシャはたしかに心が死んでいた。生き残ったことが罪悪のように考え、自分を責めていた。その苦しみは、井上ひさしの名作『父と暮らせば』によく描かれている。近年になって、リフトンの仕事が理解されるようになってきた。
リフトンの研究はあまりに早かったのだ。彼は原爆の心の後遺症を、占領者の目つまり研究材料として見つめるのでなく人間として真摯に見つめていた。というリフトンの誠実さを、私は今になって思う。
このリフトンを大江健三郎さんが訪ねた。二人はそれ以前に知己であったので、きわめて親愛な対談となった。ここで、リフトンは「サイキック・ナミング」(心的麻痺)という重要な概念を取材する我々の前に提出してくれた。
人は原爆やアウシュビッツのような人智を越えた大災厄の前に立つと、心が麻痺してしまうというのだ。リフトンの質問にヒロシマのヒバクシャは「私の心は止まった」と証言している。それをリフトンはこう解釈した。
《彼らのこの心の状態は、ちょうど感光しすぎたために、何も記録できなくなった写真の乾板》のようなものだ。《それは自己防衛のために必要なことだった。なぜなら、あれだけの恐怖感を感じながら正気のままでいることはできないから》
今風の言葉で言えば、「トラウマ」ということになるだろうか。黒木和雄監督にしろ、ヒロシマ、ナガサキのヒバクシャ、沖縄の生存者たちは、戦後長く心が麻痺したままで生きたのだ。
リフトンの素晴らしいのは、そのかじかんだ心は永久に続くわけでない、治癒することもありうると考えたことだ。リフトンは人びとを励ます方向で心の傷を見つめていた。
サイキックナミングと繰り返すリフトンの言葉を引き取って、大江さんは「かじかんだ心」と訳した。悲しくも美しい言葉だ。
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