天狗党
とうとう首相が靖国へ行った。就任以来、毎年参拝していたが、任期最後の今年は敗戦の日8月15日に行った。総理大臣、個人小泉純一郎という立場でモーニング礼装で行ったとテレビは報じている。
首相は少年時に特攻の記録に出会って、以来何度も読み返し、現在の繁栄の礎を作った戦没者たちを祀った靖国神社に行くことを、首相になったとき公約に掲げた。それを遵守するとして毎年行ってきた。
今年なぜ8月15日かという問いに対して、これまでその時期を早くしたり遅くしたりしてずらしてきたが、これを問題にする勢力はいずれにしても問題にした。ならば、所期の8月15日こそ適切な日と考え行ったと、本人は記者会見で語った。
抗弁だ。おそらく任期が終わるという今年だからこそ15日を選んだであろう。一石を投じたとしてもその後の責任は自分の及ばない地位に変わっているだろうから。とすると、この後の首相を引き継ぐ者は、この問題への対応が試金石になるのは当然であろう。後継と目される人物は踏絵をどう判断するのだろうか。それは、これからの問題だ。
首相の言動に気になるのは、靖国参拝を利用して政治問題化しようとする(敵)勢力があるという認識である。これは何を指すのだろうか。親中、韓の反靖国勢力とでもいうのだろうか。被害者意識的というか、陰謀史観めいて、とても一国の首相の言動とは思えない。こういうことを発言するときの顔はまなじりを決している。ファナティックな匂いがする。
唐突だが水戸の天狗党を思い出す。
私のふるさと敦賀には水戸天狗党が処刑された場所がある。水戸を脱藩した武田耕雲斎以下尊王攘夷派が北陸道を駆け下りて京都へ向う途中、敦賀で捕縛され処刑されたのだ。彼らが閉じ込められたというニシン倉(肥料用のにしんを入れておく蔵、吐き気がするほど臭い)が私の中学生の頃まで残っていた。負傷し飢餓で苦しんだ末の処刑であったというが、その幽閉された蔵をのぞくと何かおぞましいものを感じたものだ。それほど過酷な境遇に陥ろうとも、天狗党の一味はけっして転向しなかった。どころか、ますます意気盛んに倒幕を口にしたという。
むろん私は見たわけではないが、天狗党の若い武士たちはきっと本日の首相のような顔をしていたと思えてならない。青ざめて、目が引きつり、何かを決意したような表情。
そういう激情は危ないと、私は懸念する。
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